女の武器はピンヒール!? ドレスをたくし上げて悪を踏み抜け!




 ランカシーレは齢二十歳過ぎにして、立派にゴットアプフェルフルス国を治めていた女王だった。
 ある朝、ランカシーレ女王は下女に手伝ってもらいながら、ドレスの着付けをしてもらっていた。ランカシーレ女王は絹糸のような金髪に白磁のような肌、リンゴのように赤く熟れた唇、紅の差した頬、そして胸の開いたドレスからうかがえる豊満な乳房を授かった立派な女王だった。世界で最も豪奢なドレスに身を包まれてゆくランカシーレ女王は、まさに世界で最も美しい女性であると言っても過言ではなかっただろう。目のくらむような宝石が散りばめられ、雪の結晶のようなフリルでいろどられたその赤いドレスは、まさに女王という君主に相応しいものだった。ドレスの裾周りは六メートルほどだろうか。その大きさは女王なる威厳を醸すためだけに存在しているかのようだった。
 ランカシーレ女王は桃色のガウンを羽織り、袖を通した。ガウンにはフリルが豪勢に付けられてあり、裾は長く床に引きずられていた。ガウンの帯を締めると、ランカシーレ女王の腰の括れがはっきりと表れた。
 下女は「これでおしまいです」と女王に告げた。
「ありがとうございます。では公務へと行って参ります」
 ランカシーレ女王はドレスをつまんで深々と頭を下げた。下女たちが慌てて頭を下げたのを見て、ランカシーレ女王はふっと微笑み、着付け室から出た。
 ランカシーレ女王が歩くたびに、ピンヒールの音が廊下にこだました。ふと窓を見やると、乳房を揺らせながら歩く自分の姿が映って見えた。これまで「これで一国の女王たるに相応しいたたずまいとなっているだろうか」という疑念は何度もランカシーレ女王を襲ってきた。しかしそのたびにランカシーレ女王は自らに強く言い聞かせた。これ以上の女王などありやしない、私は最善を尽くしているのだ、と。
 ランカシーレ女王は、背後から誰かが駆けてくる足音を聞いた。ランカシーレ女王が振り向くと、そこには大臣のユーグがいた。ユーグは大柄で、軍人上がりの肉体を見せつけるのが趣味な暑苦しい男だった。
「女王陛下。ご機嫌麗しゅうございます」
 ユーグは肩で息を切らせながら、おざなりな礼をした。しかしランカシーレ女王はドレスをつまみ、深々と頭を下げて挨拶を返した。
「ごきげんよう。いかがなされました、ユーグ?」
「はい。女王陛下に是非ともお願いがありまして」
 ランカシーレ女王は顔をしかめた。こういったときは、まず間違いなくろくなお願いではない、と知っていたからだ。
「おっしゃいなさい」
「はい。女王陛下、今のこの機に、隣国のオストシュタット国に攻め入るべきです」
 ランカシーレ女王はしかめ面をしたまま、ユーグに告げた。
「戦争の話であれば、議会を通しなさい。私に直接仰っただけでは、私はあなたの意見を聞き入れることなどできません」
「しかし女王陛下!」
 ユーグは語気を強めた。
「議会はもはや女王陛下の言いなりです! そんな議会で私がいくら物申したところで、聞き入れてもらえるはずがありません!」
「だから女王である私に直接言えば良い、とお思いなのですか?」
 ランカシーレ女王はキッとユーグを睨み付けた。
「ユーグ、あなたは大きな勘違いを二つしています。一つは、議会は私のいいなりになってはございません。議員はちゃんと自らの自由意思と論理に基づいて判断をしてくださります。議会にて反論があれば、私もお答えいたしております。現在議会の意見と私の意見が一致しているということは、互いに話し合いによる同意を得ているということに他なりません。……そしてもう一つは」
 ランカシーレ女王はユーグの目を見据えたまま続けた。
「こうして私に直訴することで何かが変わる、と思い誤っていることです。私は女王ですが、私一人の意志で国が動いているわけではございません。もう一度、この国の法律をよくお読みになりなさい」
「女王陛下!」
 ユーグは食い下がった。
「今隣国のオストシュタット国は疲弊しきっています! 軍備もおろそかで、経済もまわっていません! そのくせ地下資源だけは豊富にある! そんなオストシュタット国を今乗っ取らずに、いつ乗っ取るというのですか!?」
 ユーグはランカシーレ女王に一歩近づいた。ユーグが時折ランカシーレ女王の胸元を見ながら喋っていることに、ランカシーレ女王は気付いていた。女王たるもの、美貌で家臣を惹きつけねばならない。しかしここまで露骨に性的な興味を示されることに、ランカシーレ女王は嫌悪を抱いていた。
 ランカシーレ女王は静かに言った。
「ユーグ。今から260年前に我が国が建てられたとき、オストシュタット国は真っ先に経済支援を行ってくださりました。その後も条約の締結を機に、関税の緩和や軍事同盟を結んでまいりました。この状態を、共存、といいます。共存している相手が苦しんでいるのなら、こちらは救いの手を差し出すべきです。間違っても、攻め入ることなどできません」
「女王陛下! なにを生ぬるいことを!」
 ユーグは思わずランカシーレ女王の両肩を手でつかんだ。ランカシーレ女王のガウンとドレスが乱れ、乳房がさらに顕わになった。
「おやめなさい」
 ランカシーレ女王は静かに言った。しかしユーグは聞き入れる耳を持たないようだった。ランカシーレ女王の肩を掴む力がますます強まってゆく。
 ランカシーレ女王は再び言った。
「おやめなさい、と申し上げているのです。そうやって力ずくで物事を解決することがあまりにもばかげている、ということにいい加減気付くべきです」
「しかし女王陛下!」
 ユーグはさらに強くランカシーレ女王の肩をぎゅっと掴んだ。
 ランカシーレ女王は、またか、と思った。こうして男性に力ずくでねじ伏せられかけたことなどこれまで何度もあった。所詮は男など、女のことを皆容易く押し倒すことのできる玩具のようにしか思っていないのだろう。どんなに豪華なドレスで着飾っていても、女は最後は力でねじ伏せられる運命にあるのだ。このようなとき、女王という身分は驚くほどに何の役にも立ってくれない。
 ランカシーレ女王は覚悟を決めた。この男には灸を据えてやらねばなるまい、と。
 ランカシーレ女王はドレスの裾を掴み、さっとたくし上げた。ドレスのスカートの裾が舞い、ランカシーレ女王の生脚が顕わになった。これまで誰も拝んだことの無い真っ白なふとももが姿を現した。
 ユーグは思わずランカシーレ女王のスカートの中に見とれた。
 その瞬間、ランカシーレ女王は右足を上げ、思いきりユーグの脚をピンヒールの踵で踏みつけた。
「ぎゃああああああっ!」
 ユーグは悲鳴を上げてうずくまった。
 ランカシーレ女王がドレスを正すと、すぐさま近衛兵が一人やってきた。銀髪のがっしりしたその近衛兵は、城の中であっても鎧の着用と帯剣を許されていた存在だった。
「女王陛下、いかがなされました?」
「この大臣が私に乱暴なことをなさろうとしていたのです。そして今その罰を与えたところです。……お気になさらないで」
 ランカシーレ女王は近衛兵のほうを向いて微笑んだ。
 近衛兵は、
「はっ」
と一歩退いて、ランカシーレ女王の後ろに従った。
 さらに野次馬が集まり始めてきた。近衛兵を付き従えた女王と、見下ろされる大臣。こうなってしまってはユーグに勝ち目は無かった。ユーグはゆっくりと立ち上がりながら、
「では……また後ほどお伺いしましょう。……ごきげんよう」
と言って、片足を引きずりながら群衆をかきわけ去っていった。
 ランカシーレ女王は手をパンパンと叩いて、
「これで見世物はおしまいです。さあ、持ち場にお戻りなさい」
と号令をかけた。ランカシーレ女王の声に従い、群衆は三々五々に去っていった。
 ランカシーレ女王は近衛兵に「ついてまいりなさい」と言い、ガウンを棚引かせながら颯爽と歩きはじめた。群衆はランカシーレ女王のガウンに触れないように脇に退いた。
 ランカシーレ女王は近衛兵を連れて王城の中を速足で歩いて行った。ランカシーレ女王は廊下の角を曲がり、木でできた扉を開けて中庭に出た。その中庭は木が充分にたくさん植えられていたので、周囲から見られる心配はなかった。
 ランカシーレ女王はドレスとガウンを掴んでひらりと宙を舞わせ、近衛兵に向きなおった。
「ありがとうございます、パクリコン」
 パクリコンと呼ばれたその近衛兵は跪き「恐縮の限りです」と述べた。ランカシーレ女王は続けた。
「今日も私の近くを警護なさってくださっていたのでしょう? あれほどすぐに駆けつけてくださるだなんて、よっぽど近くにいらっしゃったのですね」
「はい。ここのところ女王陛下が家臣に詰め寄られる事例が多々ありましたので、女王陛下のお声の届くところで待機していました。家臣といっても、その大半があのユーグ大臣ではありますが」
 近衛兵のパクリコンは抑揚のない声でそう言ったが、ランカシーレ女王はそこに苛立ちの思いが込められてあることに気付いた。
「パクリコン。じつはあの直前に、私はユーグに肩を掴まれたのです。できればその際にいらっしゃっていただきたかったところです」
「はっ、気の利かないことをしてしまい、大変申し訳ないものです。なにしろ、どうせならユーグ大臣がランカシーレ女王に不埒なことをした瞬間を狙って取り押さえ、ユーグ大臣を追放してやろうと思っていたものですから」
 パクリコンのその告白にランカシーレ女王は思わず微笑んだ。私の言えない事をこの人は堂々としゃべってくれる、という思いはランカシーレを安堵させた。
「パクリコン。何かあってからでは遅いのです。たとえユーグが追放されたとしても、私の身が汚れてしまっては、取り返しがつかないでしょう?」
「はっ。申し訳ないことをしました。お詫びに先ほど女王陛下が受けた心の傷を癒そうと思いますが、いかがでしょう?」
 パクリコンの声にランカシーレ女王はふっと微笑んだ。ふーっとため息を吐き、ランカシーレ女王はパクリコンにこう告げた。
「命令です。抱きしめなさい」
「はっ」
 パクリコンは立ち上がり、ランカシーレ女王の腰に手を回して思いきり抱きしめた。ランカシーレ女王もパクリコンの首回りに腕を伸ばし、二人は互いに髪の匂いを嗅ぎ合った。
 ランカシーレ女王はパクリコンの頬に手をやり、撫ぜた。パクリコンはさらにランカシーレ女王の首元に顔をうずめ、髭で肌をこすった。
「パクリコン」
「何です?」
「今私を押し倒したいと思っているでしょう?」
 パクリコンは返答に窮した。しかしパクリコンは冷静な声で、
「いいえ、女王陛下をお守りするのが俺の役目ですから」
と答えた。するとランカシーレ女王はおもむろにパクリコンの下腹部の鎧を持ち上げ、黒装束の股間部分に手をやった。そこには明らかに血流が激しくなり固くなっている男根が感じられた。
「嘘仰い」
 ランカシーレ女王はふふっと笑った。パクリコンも、
「女王陛下はすぐ嘘を見抜く。俺は女王陛下のそんなところが嫌いです」
と言っては笑った。ランカシーレ女王は「まあ」と言ったが、やがて、
「それも嘘でしょう? 私にはわかりますよ」
と言ってパクリコンの頬に接吻をした。
 パクリコンもランカシーレ女王の頬に接吻を返した。何度か二人は頬への接吻を繰り返していたが、やがてどちらからというわけでもなく、二人は口唇と口唇とで熱い接吻を交わした。
「パクリコン」
 口唇を離したランカシーレ女王は言った。
「こうしていられるのもあと一週間だけですね」
「……はい」
 パクリコンはランカシーレ女王を強く抱きしめた。中庭の木々が一陣の風によってざわめくのを、二人は遠くに感じ取っていた。

 ランカシーレ女王がいつもより三十分遅れて執務室に行くと、外務大臣がランカシーレ女王に声をかけた。
「女王陛下。エスターライヒ帝国の皇帝が婚姻のために我が国にいらっしゃる、とはお聞き及びだとは思いますが、その日程が変更されました」
「あら。ではいつになったのです?」
 ランカシーレ女王は、またエスターライヒ帝国の都合に合わせなければならないのか、と思いながら答えた。しかし相手は帝国だ。たかが王国ごときのゴットアプフェルフルスはそれに応じなければならない。ランカシーレ女王はどんな日程であろうと合わせてやろう、と思った。
 しかし外務大臣は辛辣な答えを返した。
「明日です」
 ランカシーレ女王は思わず身体が凍るのを感じた。やがてランカシーレ女王は言葉を探り探り尋ねた。
「……い、一週間後という話ではなかったのでしょうか? それにまだ、こちらには何も準備ができておりませんし……」
「女王陛下。ここでエスターライヒ皇帝に文句を言うのは陛下の自由です。ですがそのような発言が何を引き起こすかはよくお考えになってください」
「はい……」
 ランカシーレ女王はうなだれた。
 分かっている、こちらに拒否権など無いのだ。エスターライヒ帝国にはゴットアプフェルフルス国の何十倍もの国家予算がある。軍事力にしたって、ゴットアプフェルフルス国に勝ち目は無い。エスターライヒ帝国はこうした無茶を押し付けることで、ゴットアプフェルフルス国にどれだけ忠誠心があるかを測っているのだ。
 ランカシーレ女王は言った。
「至急出迎えの準備を進めなさい。くれぐれも無礼の無いように」
「はっ」
 外務大臣は下がった。
 ランカシーレ女王が執務室で玉座に座ろうとしたとき、背後から「女王陛下」と女性の声がした。振り返るとそこには、流れるような黒髪に緑のスレンダーなドレスが似合う、同年代の女性が立っていた。
「何でしょう、レビア?」
「女王陛下にご機嫌伺いでございます。本日もお日柄ようございます」
 レビアはそう言って、ランカシーレ女王の手を両手で握りしめた。
 ランカシーレ女王はレビアにふっと微笑んで言った。
「ありがとうございます。今日も公務が忙しくなりそうですが、ひとつひとつこなしてまいりましょう」
「はい!」
 レビアははじけるような笑みを浮かべて、一礼して去っていった。
 ランカシーレ女王は玉座に座った。そして誰にも気づかれないように、さきほどレビアが手を握りしめた際に手渡してくれた紙切れをそっと開いた。そこには「10:30 地下牢にユーグ大臣とともに来てください」と書かれてあった。
 ランカシーレ女王はレビアの働きぶりに感謝の念を抱いた。国政は全てが全てきれいごとで片付くわけではない。その「きれいごとで片付かない部分」の仕事をレビアは一辺に引き受けてくれているのだ。
 ランカシーレ女王はガウンの襟を正し、国務を行うことにした。

 時計の針が十時二十分をすぎたあたりで、ランカシーレ女王は席を立った。そしてユーグの席に近づき、声をかけた。
「ユーグ。少しお話がございます。ご一緒していただけないでしょうか?」
「女王陛下……しかし……」
 ユーグは目の前の書類に目をやった。しかしため息をついて、
「分かりました」
と言い、席を立った。
 執務室を出たランカシーレ女王とユーグは、無言のまま廊下を歩いていた。廊下にはランカシーレ女王のハイヒールの音と、ガウンが床を擦る音だけが響いていた。
「足の怪我はいかがですか?」
 ランカシーレ女王は不意にユーグに尋ねた。
「私はこの痛みを、甘んじてお受けしております……」
 ユーグは答えになっていない答えを返した。しかしランカシーレ女王にはそれで充分だった。
 ランカシーレ女王は地下牢へと続く廊下の鍵を開けて「お入りなさい」とユーグに言った。ユーグは驚いていたが、やがて素直にランカシーレ女王に従った。
「女王陛下。一体何のご用なのでしょうか? 今朝の件で私を地下牢に入れる、ということなのでしょうか?」
「いいえ、ご安心なさい。今朝の件は不問といたします」
 ランカシーレ女王はドレスを軽くたくし上げて、階段を下りていった。ドレスをたくし上げると普通は足元が見えなくなるのだが、強くパニエを引き寄せることで足許を見ることができる。十センチものピンヒールを履いているランカシーレ女王だからこそ、足許を注意深く見る必要があるのだ。
 ランカシーレ女王の背後には長く桃色のガウンが裾を引いている。地下牢は決して清潔なところではないので、ガウンは次第に煤汚れたものになっていった。しかしランカシーレ女王はそのようなことなど気にもかけず、地下牢に下り立った。
 ランカシーレ女王のハイヒールの音を聞きつけたのか、地下牢の管理大臣が姿を現した。
「女王陛下。お言付けが伝わったようで何よりです。是非ともお見せしたいものがありまして」
「はい。そのために参りました。拝見したいと思います」
 ランカシーレ女王ははっきりとした声で応じた。今この場にいる者に、己の威厳を示すためだ。
 管理大臣は、
「ではこちらに」
と言って目の前の大きな扉を開いて、ランカシーレ女王とユーグを中に通した。
 その部屋は拷問部屋だった。天上から吊るされた何本もの縄によって、一人の目隠しをされた小太りの男が宙づりになっている。
 管理大臣はその宙づりの男に言った。
「さあ、お前の名前を吐け!」
「レオン・テーベ……」
 その声を聞いて、ユーグがごくりと唾を飲み込む音が拷問部屋に響いた。管理大臣は続けた。
「お前が先ほど喋ったことを、もう一度ここで言うんだ!」
「わ……私は……」
 宙づりの男は荒い息の中、とぎれとぎれに言葉を吐いた。
「兵器を商売の種にしている者でして……戦争が始まれば兵器がよく売れるからという理由で……戦争を起こしてもらうよう……この城の者に贈賄を行っていました……」
「その贈賄相手は誰だ!?」
 管理大臣の声が響いた。宙づりの男は弱弱しく吐いた。
「……ユーグ大臣……です……」
 ランカシーレ女王はユーグのほうに振り向いた。ユーグは顔面蒼白のままそこに立っていた。微かに足許が震え、口が半開きになっている。
「ち、違う!」
 ユーグが最初に口にした言葉はそれだった。
「私は決して賄賂など受け取っていない! そんな男も知らん! でたらめを言うな!」
「でたらめでは……ありません……」
 宙づりの男は弱弱しく言った。
「私の本社の事務室に……ユーグ大臣の受領のサインがあります……。お調べください……」
「バカな!」
 ユーグは語気荒々しく怒鳴った。しかしランカシーレ女王は静かに言った。
「ユーグ。今朝のこと、私に戦争をしろと仰っていたのは、こういうことだったのですか?」
「違います! 私はただ……国益のために……!」
 ユーグの声は細くなっていった。ランカシーレ女王は続けた。
「ユーグ。調べればあなたが有罪なのか潔白なのかはいずれちゃんと分かります。今ここであなたに尋ねても無意味なのは分かっています。しかし私はあなたが正直に事の顛末を話すかどうかを知りたいのです。私はあなたの良心を信じているのです」
「女王陛下……」
 ガクッと膝の力が抜け、ユーグは膝をついた。ランカシーレ女王はさらに続けた。
「お話しなさい。誰にでも間違いはあるものです。それに、話してくだされば情状酌量の余地もございます。あなたと、あのレオン・テーベの罪が軽くなるのです。……さあ」
 ユーグはしばらくガクガク震えていたが、やがて大きなため息をついた。ユーグは両手を床につき、涙をこぼした。
「女王陛下……」
 ユーグはゆっくりと口を開いた。
「最初は本当に国益のことを考えていたのです……。オストシュタット国には我が国に無い資源が豊富にある……。ならば乗っ取ってしまえばいい……。我が国のことを思えば、多少オストシュタット国に恨まれようとも構わない……。そう思っていました……。無論……女王陛下をはじめ、議会の人々からは反対を受けました……。義理に欠けている、と……道理にかなっていない、と……。私も……少なからずそれは分かっていました……。しかし……無理があろうと、提案する意義はあるだろう……と思っていました……。そんな折のことでした……」
 ユーグは再びため息を吐いた。嗚咽の混じった声でユーグは続けた。
「そこに吊るされているレオン・テーベから提案を受けました……。この金をやるから戦争を起こしてくれ……と。私は金の魔力に抗いきれませんでした……。それ以来私は女王陛下に直談判をするようになり……無理やり戦争を起こそうとしました……。無論……かないませんでしたが……」
 ユーグの声はそこで消え入ってしまった。
 ランカシーレ女王はユーグに一歩近づいて言った。
「今のお気持ちをお忘れにならないよう。そして裁判でその旨をきちんとお話になるよう約束なさい。必ずや、あなたの誠意は伝わるでしょう」
「ありがとうございます、女王陛下……」
 ユーグは深く頭を下げて礼を言った。
 管理大臣はユーグの両手に縄をかけ、ランカシーレ女王に言った。
「ではユーグ大臣とレオン・テーベを牢獄につないでおきましょう。裁判が行われる日まで、じっくり反省させたいと思います」
「はい、お任せいたします」
 ランカシーレ女王はドレスをつまんで、管理大臣に深く頭を下げた。管理大臣も王族に対する最高位の礼を取った。
 ランカシーレ女王は管理大臣に告げた。
「では私は失礼いたします。此度のお働きに感謝いたします」
「いえいえ、これが私の仕事ですから」
 ランカシーレ女王はその言葉を聞いて、ドレスとガウンを翻した。
 拷問部屋を出て、ランカシーレ女王は地下牢から出るための階段を上り始めた。ドレスを少しだけたくし上げ、足許を注意しながら一歩一歩のぼっていった。
 ランカシーレ女王はふと気づいた。周囲には誰もいない。ならばこのようにドレスを少しだけたくし上げる必要など無いのではなかろうか。
 ランカシーレ女王はドレスの下部を掴み、顔付近まで思いきりたくし上げた。もしランカシーレ女王を真正面から見る者がいれば、ランカシーレ女王の下着や腹部が見えていたことだろう。しかし今やランカシーレ女王の真正面に回り込むような存在は無い。ランカシーレ女王はその事実をもって、階段を陽気に駆けのぼりはじめた。
 ピンヒールの音が響き、ガウンの裾がふわりと舞った。普段はドレスによって閉じ込められている下着も、こうして風を感じることで新鮮な心地がしたことだろう。それにドレスを気兼ねなくたくし上げて走るだなんて、何年ぶりにやったことだろうか。人の目を気にしたくなければ、また地下牢に来よう。ランカシーレ女王は、そのようなことを思いもした。
 ランカシーレ女王は階段を駆け上りきった。あとは扉を開けさえすれば、また元の女王としての自分に戻ることになる。ランカシーレ女王はそれを惜しんだ。もう少しドレスをたくし上げたままでいたい、下着を露わにしたままでいたい、という思いを抑えられなくなった。
 ランカシーレ女王は扉の前で左折し、狭い廊下を走り抜けた。ピンヒールが響き、ドレスの裾がたなびき、ガウンの裾がひらひらと踊った。いまやランカシーレ女王の下腹部を守るものなど、取るに足らない純白の下着一枚だけとなっていた。それでもランカシーレ女王は構わなかった。この解放感はそうそう味わえるものではない。そう思えば、少しくらい下着を露わにしたところで罰など当たるまい。
 そう信じ込んでいたランカシーレ女王は廊下の角を曲がった。
 どんっ、と何かにぶつかる衝撃が走り、そのはずみでランカシーレ女王は「きゃあっ!」と叫んで後ろに転んでしまった。鈍い痛みが体中を支配してゆくのを感じた。ランカシーレ女王はドレスの裾を踏んでしまっているため、なかなか起き上がることができない。そのうえ、たくし上げていたドレスが顔にかぶさってしまったため、前が見えない。
「んもう!」
 ランカシーレ女王はドレスを押し下げた。
 するとそこには、鎧甲冑に身を包んだ兵士が一人立っていた。目元まで鎧で覆われているため、表情が全く分からない。
 ランカシーレ女王は、今自分がはだけたドレスから生脚をさらけ出していることに気付いた。慌ててドレスの裾を正そうとしたが、パニエがたわんでしまってなかなか言うことを聞かない。
 そうしていると、鎧甲冑の男は一歩ランカシーレ女王に近付いた。
「来ないで!」
 ランカシーレ女王は叫んだ。
「私は女王よ! 不埒な真似をしたら、拷問に拷問をかけた挙句絞首刑にするわよ! それ以上近寄らないで!」
 しかしその鎧甲冑の男は聞く耳を持たなかった。じわりじわりとランカシーレ女王に近づき、ゆっくりと右手を伸ばしてきた。
「いやっ、いやあっ、いやあああああっ!」
 ランカシーレ女王は悲鳴を上げた。もうだめだ、犯される、とランカシーレ女王は直覚した。当たり前だ、目の前に生脚をさらけ出して倒れている女がいれば、どんな男だって強姦するに決まっている。これまで必死に守り続けてきた純潔も、こんな取るに足らないことで失ってしまうのか。地下牢獄にどんな怪しい男がいるか分かったものではないのに、何故自分は下着をさらけ出して走り回っていたのだろうか。ああ、自分自身の愚かさが憎い。
 ランカシーレ女王の目尻から涙がこぼれた。
 もういい、犯されよう。抵抗したって敵うわけでもない。こうして純潔を失ったことを一生覚えておけばいいのだ。一生穢れた女として生きればいいだけだ。処女膜はその代償として失おう。それが私の愚かさの証なのだから。
 ランカシーレ女王は目を瞑った。涙がどくどくとあふれ出す中で、ランカシーレ女王は一切の抵抗を放棄した。
 そのとき、何かがランカシーレ女王の涙をぬぐった。
 それは鎧甲冑の男の指だった。
「えっ……?」
 鎧甲冑の男はランカシーレ女王の髪を撫ぜた。そしておもむろにランカシーレ女王の腰と脚に手を伸ばしたかと思うと、そのままランカシーレ女王を抱き上げた。
「きゃあっ、何をするの!?」
 しかし鎧甲冑の男は何も答えず、ランカシーレ女王を抱き上げたまま歩いていった。
 ランカシーレ女王は心臓が早鐘を打つのを感じた。ひょっとすると強姦までの時間が少し伸びただけなのではなかろうか。それともこの鎧甲冑の男には別の意図があるのだろうか。
 やがて鎧甲冑の男は、地下牢獄の壁の扉を開けた。その扉は城の裏庭に繋がってあり、そこには緑の芝生が広がりベンチがしつらえてあった。
 鎧甲冑の男はランカシーレ女王をベンチにそっと下ろした。どぎまぎしているランカシーレ女王の前で、鎧甲冑の男はガントレットを外した。そして男は頭部鎧の留め具を外して頭から取り去った。
 そこには口許を布で縛っているパクリコンの姿があった。
「パクリコン!? ど、どうして……!?」
 ランカシーレ女王が驚いていると、パクリコンは口許の布を乱暴に外した。そして開口一番にランカシーレ女王に怒鳴った。
「何を馬鹿なことをしていたんですか、女王陛下! 人の目が無いからと言ってあんなはしたないことをして! 地下牢には女王陛下の知らない下衆な野郎がたくさんうようよしているんですよ!? それなのにあんな挑発的なことをして! あなたは犯されたいのですか!? 一度犯されないと自分の愚かさが分からないのですか!?」
 パクリコンの叱責にランカシーレ女王は言葉を失った。しかしやがて安堵したためか、涙をぼろぼろこぼしながらパクリコンに抱き着いた。
「ああ、パクリコン! あなたがパクリコンでよかった……! 私はもう犯されてしまうものと思っておりました……! ありがとうございます……!」
 ランカシーレ女王は感謝の言葉を述べた。しかしパクリコンはランカシーレ女王の身体を己から引き離した。
「女王陛下。地下牢には血なまぐさい死体がたくさん転がっています。長くあの場にいれば、肺をやられてしまうのです。だから俺などは地下牢を警備する際に、口許を強く布で覆うことにしています。……それなのに女王陛下はあんなあられもないことを平気でするだなんて!」
 パクリコンの言葉にランカシーレ女王は何も言えなかった。ランカシーレ女王はやがてパクリコンの傍からそっと離れ、ドレスの裾をつまんで頭を下げ、
「ごめんなさい」
と謝った。そんなランカシーレ女王の姿を見て、パクリコンは言った。
「俺は女王陛下を守るために雇われています。女王陛下がこの国で一番大切な方と思うからこそ、女王陛下を守っているのです。……しかし女王陛下が守るに値しない取るに足らない人物であれば、俺はこの仕事を辞めさせていただきます」
「……ごめんなさい」
 ランカシーレ女王はうなだれた。ランカシーレ女王はドレスの裾を掴み、ぐっと己の浅はかさを反芻していた。
 パクリコンはそんなランカシーレ女王に一歩近づいた。
「女王陛下。一番正直な話をします」
「はい……」
 パクリコンはランカシーレ女王の目線に合わせて屈んだ。そしてランカシーレ女王に告げた。
「俺はあんな形で女王陛下の下着の色を知りたくはありませんでした!」
 ランカシーレ女王はきょとんとした。しかしやがてランカシーレ女王は困ったように笑いながら、
「はい、本当にごめんなさい」
と返した。
 パクリコンはランカシーレ女王の頭をくしゃくしゃっと撫ぜた。
「俺から言いたいのはそれだけです。以後気を付けてくださいね」
 ランカシーレ女王はパクリコンの手の温かみを感じていた。やがてランカシーレ女王はパクリコンの目を見ながら、尋ねた。
「……それで、いかがでした?」
「なにがです?」
 パクリコンは尋ね返した。ランカシーレ女王は続けた。
「この国の女王の下着を露わに見た感想をお尋ねしているのです」
 パクリコンの顔が急に赤くなるのを、ランカシーレ女王は見て取れた。思い出すだけで恥ずかしい事だが、パクリコンにとってもあれは相当性的興奮を催す出来事だったに違いない。そういった好奇心から、ランカシーレ女王は尋ねずにはいられなかった。
「いかが、って……」
「何とでも褒めようがございましょうに。それともパクリコンにとって、私の下着や下腹部、脚はまったく魅力の無いものでしたか?」
「いっ……いえ……」
 パクリコンの耳たぶまで赤くなった。
 ランカシーレ女王はパクリコンの下腹部にあたる鎧甲冑を外した。丈夫な布の向こうでいきり立った男根が熱を発しているのを、ランカシーレ女王は指で感じた。
「正直に仰って。私は今までどの殿方にも自分の下着を見せたことがございませんもの」
 ランカシーレ女王はパクリコンの男根を布越しにそっと撫ぜた。ビクンと男根が跳ねた気がした。
「女王陛下……。その……正直に言いますと……」
 パクリコンはため息を吐き、覚悟を決めて言った。
「あのとき、あのまま押し倒して犯してしまおうと思ったくらいです。それくらいに女王陛下のお身体は魅力的で、扇情的で、美しいものでした」
「あら……」
 ランカシーレ女王は言葉を失った。二人とも軽く俯いたまま、言葉を探していた。しかし探せば探すほど、適切な言葉が四散していくように感じられた。
 二人は同時に顔を上げ、見つめ合った。時間が止まったかのように、互いは互いの瞳に見入っていた。
 ランカシーレ女王は口を開いた。
「パクリコン。何故犯してしまわなかったのです?」
「えっ?」
 パクリコンはランカシーレ女王の思わぬ言葉に目を丸くした。ランカシーレ女王は続けた。
「期限が早まりました。私は明日、あなたの手の届かないところに行ってしまうことでしょう。それならばあのときあなたは私を犯してしまえばよかったのに。何故あなたは自分に素直にならないのです?」
「何故って……」
 パクリコンはランカシーレ女王の意図が汲めず、言った。
「女王陛下。俺の役目は女王陛下をお守りすることです。決して、隙を見て女王陛下を犯すことが役目ではありません。どんなに女王陛下がお誘いになったところで、俺は女王陛下を守ることだけに専念します」
「……あら」
 ランカシーレ女王は面白くなさそうな口調で言った。
「私の命令は絶対だというのに、それにすら背くのですか?」
「はい。命令と我が儘は異なるものですから」
 パクリコンの返答に、さらにランカシーレ女王は頬を膨らませた。
「私が明日、どこぞの得体のしれない男のものになってしまう、と分かっていてもですか?」
「はい。女王陛下の純潔は国の宝です。結ばれるべき相手にさしあげて当然のものです」
 ランカシーレ女王はパクリコンに一歩近づいた。パクリコンをしばらく睨み付けていたが、やがて涙がこぼれはじめたのをランカシーレ女王は自覚した。
 ランカシーレ女王はパクリコンに告げた。
「あなたも、所詮女王はモノでしかないとお思いのようなのね」
「違います、女王陛下」
 パクリコンは否定した。しかしランカシーレ女王は続けた。
「ですが私の純潔を国のために使え、と仰っているでしょう? 私が私の愛する人に身体を委ねる、だなど言語道断であるとお考えなのでしょう? 結局、私には愛だの恋だの、そのようなものはあってはならないとお決め付けになっているのではございませんか? それこそが、私をモノ扱いしている証左でございましょう」
 ランカシーレ女王はフンと鼻を鳴らし、ドレスとガウンを翻して歩きはじめた。わざとパクリコンの身体にガウンの裾が当たるようにしながら、ランカシーレ女王はガウンを捌いた。
「もういいです。何も分かってくださらないだなんて」
 ランカシーレ女王は裏庭の隅まで歩いて行った。
 心にもないことを言ってしまった、とランカシーレ女王は悔やんだ。今パクリコンにどうしてもらいたいのかは分からないが、少なくともここでパクリコンが自分を口説き落とそうとしないのには我慢できなかった。かと言って挑発したところで口説きに来るはずもないのに、何故あのようなことを言ってしまったのか。
 ランカシーレ女王は自己嫌悪に潰されそうになった。
 そのとき、シュッと音がしてランカシーレ女王のガウンを留めている帯が解かれた。見るとパクリコンがランカシーレ女王のガウンの帯を乱雑に後ろに放り投げていた。ガウンが緩み、ランカシーレ女王の乳房が少し顕わになった。
「返して」
「嫌です」
 パクリコンはランカシーレ女王の言葉を跳ねつけた。
 パクリコンはランカシーレ女王の正面に周り、ランカシーレ女王のガウンの襟に手をかけた。パクリコンがガウンを引きずり下ろすと、ランカシーレ女王の華奢な上半身がさらけ出され、乳房が躍った。ガウンがずり落ちたままの状態で、パクリコンはランカシーレ女王の腰に手を回した。そしてパクリコンはランカシーレ女王の臀部を撫ぜ、ランカシーレ女王にキスをした。
「女王陛下。一度男を本気にさせたら、どれほど怖いものになるかを教えてさしあげましょう」
「……やってごらんなさい」
 ランカシーレ女王は冷たく言い放った。
 その瞬間、パクリコンはランカシーレ女王のドレスの裾を掴み、思いきりたくし上げた。ランカシーレ女王の下腹部が顕わになり、純白の下着が再び姿を見せた。
「あのっ、ちょ、ちょっと!」
「黙れ!」
 生まれて初めてパクリコンに怒号のような命令されたランカシーレ女王は、脚が竦んで動けなくなった。
 パクリコンはランカシーレ女王のドレスのスカートの中に入り、ランカシーレ女王のふとももを舐めた。それも股間に近い部分を執拗に、何度も何度も。やがてパクリコンはランカシーレ女王のお尻を撫ではじめた。下着の上からとはいえ、パクリコンのねっとりした指遣いが伝わってくる。パクリコンはランカシーレ女王の下着を真正面から何度も舐めた。舌によって刺激され、ランカシーレ女王の恥部は次第に熱くなっていった。
 パクリコンはランカシーレ女王の下着に手をかけた。ずり下ろしてしまえば、もはやそこにはランカシーレ女王の純潔そのものがむき出しになってしまう。
 ランカシーレ女王は一切抵抗しなかった。否、できなかった。身体を弄ばれるという恐怖にも似た感覚を前に、動けずにいたのだ。おまけに今下腹部はパクリコンによって支配されている。少しでも下手に抗えば、処女膜が破かれてしまうかもしれない。
 脚が竦み始めたランカシーレ女王は、相手がパクリコンであることに縋っていた。この人なら構わない、この人にならどんなことをされても後悔などあるまい、という思いがあったからだ。女王と近衛兵、という身分の違いこそあったが、この恋慕とも愛欲にも似た情動を前にすれば些細なものだった。
 ランカシーレ女王は目を細めた。私はこの瞬間を待っていたのかもしれない、と思えたからだ。パクリコンの手が下着を徐々にずり下ろしていくのを感じる。さあ来なさい、とランカシーレ女王は覚悟を決めた。
 そのとき、裏庭に通じるもう一つの扉がガチャリと開く音が響いた。ランカシーレ女王はとっさにドレスを下ろし、パクリコンをスカートの中に閉じ込めた。
「あら、どなたかと思えば外務大臣ではございませんか。何か御用です?」
 ランカシーレ女王は平静を装ってそう尋ねた。外務大臣は不機嫌さを露わにしながら言った。
「御用もなにも、いままで女王陛下はどちらにいらっしゃったのですか!? 公務を投げだすなど、女王としてあるまじきことです! さあ、執務室に戻りましょう!」
 外務大臣の声を聞きながら、ランカシーレ女王はガウンの襟を正していた。そして帯が無いことにはガウンが留まらない事に気づき、ランカシーレ女王は外務大臣に銘じた。
「私は私のガウンの帯が飛ばされてしまったので、探していただけでございます。どうやらここにあったようですね。外務大臣、取ってまいりなさい」
 外務大臣は、打ち捨てられてある帯とランカシーレ女王の顔をしばらく見比べていた。しかしやがて外務大臣は口を開いた。
「女王陛下。ご自分でお取りになってはいかがです?」
「あなたは女王に口ごたえを――ひぐっ」
 ランカシーレ女王は言葉をとぎらせた。それもそのはず、ドレスの中のパクリコンがランカシーレ女王の下着を完全にずり下ろしたからだ。途端に落ち着かなくなった下腹部に意識を向けないようにしつつ、ランカシーレ女王は外務大臣に再び命じた。
「早くお取りなさい。臣下として女王の命令を聞くことは――ひゃあん!」
 パクリコンはランカシーレ女王の恥部を舐めた。生まれて初めての感覚に、ランカシーレ女王は全身に鳥肌が立つのを感じた。思わず出てしまった情けない声を押し殺しながら、ランカシーレ女王は続けた。
「女王の命令に背くなど、それでも外務――きゃあっ、いやっ、いやあああっ!」
 ランカシーレ女王は悲鳴を抑えられなかった。それもそのはず、パクリコンがランカシーレ女王の下腹部に顔を押し当て、恥部を舌でいじくりまわしているからだ。ランカシーレ女王はみるみる顔を赤くし、荒い息を吐きつつ、外務大臣に言った。
「……お願いでございます。どうか私の帯を取ってくださりませんでしょうか? 外務大臣様」
 ランカシーレ女王は喘ぎ声交じりでそう懇願した。外務大臣はランカシーレ女王の顔色を伺いながら尋ねた。
「女王陛下。お身体の具合が悪いようでしたら、無理は申せません。ゆっくりお休みを取られた方が良いと思いますが……」
「はい……ご心配ありがとうございます……。それより……どうか帯を……」
 外務大臣は帯を取りに裏庭の隅へと向かった。ランカシーレ女王はその隙に、ドレスの中のパクリコンを足で蹴飛ばした。するとパクリコンはあろうことか、ランカシーレ女王の膣に指をねじ込んできた。
「だめっ、だめええっ! ごめんなさい、ごめんなさい!」
「女王陛下?」
 帯を手にした外務大臣が怪訝な顔をしながら近づいてきた。ランカシーレ女王は恭しく帯を受け取り、腰周りに帯を巻いて、きゅっと背中側でちょうちょ結びをした。
「ありがとうございます、外務大臣様。どうやら気分がすぐれないようですので、もう少ししましたら執務室に戻ろうと思います。どうぞ、ご心配なく」
「分かりました、女王陛下。ではまたのちほど……」
 外務大臣は一礼して、入ってきた扉から出て行った。
 扉が閉まる音が響いた後に、ランカシーレ女王は思いきりドレスをたくし上げて、パクリコンを蹴り飛ばした。
「バカ! バカ! バレたらあなたの首が飛んでしまうのですよ!? かくまう私の気持ちもお考えになって! しかもあんな破廉恥なことをして!」
「痛い、痛い。しかし女王陛下、目の前に女性の恥部があるなら、やるべきことは一つでしょう?」
「んもう、バカ!」
 スカートの中から出てきたパクリコンは、いくらランカシーレ女王に蹴られても嫌な顔一つせず、甘んじて女王の蹴りを受け止めていた。
「女王陛下」
「なによ!」
 ランカシーレ女王はパクリコンの笑みに我慢ならず、叫んだ。するとパクリコンはランカシーレ女王に一枚の純白の布きれを渡してこう言った。
「はい、下着です。きちんとお穿き下さいね」
「あっ……」
 ランカシーレ女王は今や下着を穿いていないことに気づき、顔を真っ赤にした。
「んもう! なんてことを! お貸しなさい!」
 ランカシーレ女王はドレスをたくし上げ、ピンヒールの履いた足を下着の穴に通そうとした。しかしピンヒールの踵が引っかかってしまい、なかなか穿けない。その様子をにやにや見つめていたパクリコンは、
「俺がやりましょうか? 女王陛下おひとりでは無理でしょう?」
と近づいてきた。
「結構です! この程度、できないはずがございません!」
「そうですか」
 ランカシーレ女王はやっとこさ一本目の脚を下着に通した。そしてもう片方の脚を下着に通そうとして片足立ちした途端、パクリコンはランカシーレ女王を突き飛ばした。
「きゃああっ!」
 ランカシーレ女王はバランスを崩して倒れ込んでしまった。下着に足を取られ、生脚が顕わになり、何にも守られていない下腹部がパクリコンの目の前に曝け出された。パクリコンはランカシーレ女王に覆いかぶさった。パクリコンはランカシーレ女王の髪を撫ぜ、何度も何度もその唇にキスをした。そしてランカシーレ女王の脚を下着に通してやると、パクリコンは静かに言った。
「女王陛下。楽しい思い出ができました。たとえ女王陛下がエスターライヒ帝国の皇后となったとしても、俺はこの日のことをずっと忘れません。どうか、お幸せに」
 パクリコンは再びランカシーレ女王の口唇にキスをした。ランカシーレ女王は心臓が早鐘を打つ中で、パクリコンの言葉を何度も反芻していた。そしてやがて、ランカシーレ女王はパクリコンの胸に抱かれた。そのランカシーレ女王の目尻からは涙がこぼれていた。

 翌朝、寝間着姿のランカシーレ女王は、着付け室にて豪華なドレスを前に呆然としていた。空色の生地に雪のようなフリルが幾重にも重なりあったドレス、紺色の重厚なトレーン、そして全てを包み込む裾の長い紅色のガウンがそこにあった。
「あの……これを着こなさねばならないのでしょうか?」
「もちろんです、女王陛下。なにしろ相手はエスターライヒ帝国の皇帝ですから」
 ランカシーレ女王の問いに下女はすんなり答えた。
 分かっている、そのようなことは分かっているのだ。相手は大陸の大部分を占めるような大帝国を築き上げた皇室のトップに他ならない。そのような相手に、たかがゴットアプフェルフルス国程度の女王が渡り合おうというのであれば、これくらいのドレスは必要となるだろう。
 普段着ているドレスですら、捌くので手一杯になることがある。なのにそれ以上の豪奢なドレスを纏って、一体どれほどてきぱきと動くことができるのだろうか。
 ランカシーレ女王が途方に暮れていると、下女の一人が声をかけてきた。
「女王陛下、お時間です。お寝間着をお脱ぎください」
 ランカシーレ女王は観念したかのように、寝間着を脱いで下女に預けた。
 二十分後、そこには「エスターライヒ帝国の皇后に相応しいドレス」を纏ったランカシーレ女王がいた。一歩あるくたびにドレスが鉛のように重たく感じられる。それでもランカシーレ女王は、トレーンとドレスをたくし上げて歩くよりほか無かった。
「お綺麗です、女王陛下」
 下女がランカシーレ女王を褒める声が聞こえた。
 分かっている。エスターライヒ帝国皇后になろうというのだから、綺麗なのは分かりきっている。ただ……それだけでは足りないのだ。その焦燥感はじわじわとランカシーレ女王を蝕んでいった。

 ゴットアプフェルフルス王城の一番大きな部屋が、応接の間として使われることになった。部屋は一辺二十メートル以上あるだろうか。金箔とガラス細工で丁寧に彫られた壁模様が、ゴットアプフェルフルス国の「限度」を示していた。
 ランカシーレ女王は、その部屋の奥中央に対になって設置されたソファのひとつに腰掛けていた。相手が皇帝である以上、「こちらが玉座で相手が床」だなどという無礼は許されない。あくまで対等に、それでいてこちら側がへりくだっているかのような雰囲気を作らねばならない。
 ランカシーレ女王は静かに目を閉じた。できればここに来る前にパクリコンに会っておきたかった、という思いはある。しかしここで会ってしまっては、どうしても後ろ髪を引かれる思いを携えたまま婚姻の話し合いをしなければならなくなる。それはあまりにも過酷に思えた。
 やがてざわめきが聞こえ、傍にやってきた侍女から「皇帝陛下がご到着のようです」と知らされた。いよいよだ、とランカシーレ女王は思った。ごめんなさい、という思いと、さようなら、という思いが頭の中で綯い交ぜになっている。やり残したことなんてたくさんある。だけれど……もう時間だ。
 扉が開かれ、一人の精悍な男が現れた。煌びやかな王冠を頭に乗せ、茶色い髪は短く整えられてあり、髭を立派に蓄えてあり、赤いマントを羽織り、茶色く日焼けした大きな手をこちらに向けて振っていた。歳は四十過ぎだろうか。ランカシーレ女王は一目見て、人は生まれながらにして「なれる身分」というものが決まっているものなのだろう、と感じたくらいだった。
 ランカシーレ女王はソファから立ちあがり、エスターライヒ帝国の皇帝を出迎えた。
「ようこそ、ゴットアプフェルフルス国へ。私はゴットアプフェルフルス国の女王、ランカシーレと申します。以後宜しくお願いいたしますわ」
 ランカシーレ女王はドレスの裾を注意深くつまみ、深く頭を下げた。
 エスターライヒ帝国の皇帝はしばらく顎に手をやりうなっていたが、やがてマントを翻しながらランカシーレ女王のもとへと近づいた。ランカシーレ女王のドレスの裾にブーツが重なりそうになったところで足を止め、エスターライヒ帝国の皇帝は口を開いた。
「ご機嫌麗しゅう、ランカシーレ女王陛下。私はエスターライヒ帝国のブラビラオ皇帝だ。ランカシーレ女王陛下にお会いできたことに感謝する」
 そう言ってブラビラオ皇帝はランカシーレ女王の手を取り、手の甲に接吻を施した。通常より長く執拗なその接吻にランカシーレ女王は顔をしかめたが、今はその感情を露わにすべきでないことを悟って気を落ち着かせた。
 接吻が終わると、ブラビラオ皇帝は元来た方向へと身体を向きなおした。そしてランカシーレ女王の家臣に大きな声で伝えた。
「これより私は、ランカシーレ女王と二人だけで話がしたい。君主と君主だけで、国の未来を語らいあいたいのだ。この意味が分かってくれた者は、この部屋から出ていってくれないか?」
 途端にざわめきが巻き起こった。ランカシーレ女王は慌ててブラビラオ皇帝に近寄って尋ねた。
「あの、それにはどのような意図があるのでしょうか? そのような話は聞いておりません。それに私は、あなたと二人だけで会談する気などございません」
「おや。反対する気なのかね、ランカシーレ女王陛下?」
 ブラビラオ皇帝は振り向きざまに言った。
「あなたのことをもう少し賢い女性だと思っていたが……そう無暗に私に反対していてよいのかね? あと少しばかり、自分の立場というものを考えてはいかがかな?」
 ランカシーレ女王は言葉を失った。そう、ブラビラオ皇帝は最初から話し合う気など無いのだ。自分自身が圧倒的に優位な立場にあるということを前提に、圧力をかけつつ話をまとめようとしているのだ。あからさまには言っていないが、要は「俺の言うことを聞かないのであれば、戦争によってゴットアプフェルフルス国を滅ぼす」という脅迫を用いているのだ。しかしそのような暗に意味されているものに怯えていては、君主として務まらない。ランカシーレ女王は呼吸を落ち着かせながら言った。
「私はあなたに反対いたします。今回の会談は、私の臣下の前で執り行うべきです。公の話し合いですし、第三者の目のある中で冷静に進めていきたいと思っております。誰もいない部屋で、男女二人きりだなどという状態は言語道断でございます」
「ほう……」
 ブラビラオ皇帝は顎に手をやった。その目は、久々に自分に刃向ってきた愚かな獲物をどう仕留めるか、と思案している目だった。ここでブラビラオ皇帝のペースに巻き込まれてはいけない、とランカシーレ女王は自分に言い聞かせた。あくまで対等な立場で話し合いを進めるためには、二人きりになんてなってはいけない。
 しかしブラビラオ皇帝はランカシーレ女王にのみ聞こえる程度の小声でこう言った。
「私に口答えした数だけ、関税の額を上げるというのはどうかな? 一回の口答えで一割増だ。下手をすれば国境付近のゴットアプフェルフルスの町工場が石油を手に入れられなくはなるが……まあそれは女王陛下のご意志だ。皆納得してくれるだろう」
 ランカシーレ女王は再び言葉を失った。確かに国境付近の工業地帯は、エスターライヒ帝国からの石油の輸入に頼って製品を作っている。あの工業地帯はいわばエスターライヒの重化学工業の要だ。それをたかが口答えごときで潰されるというのか。
 そう思うと、恐怖で足がすくみ、言葉を絞り出すだけの呼吸すらできなくなった。
 ブラビラオ皇帝は再びゴットアプフェルフルス国の家臣に向かって告げた。
「ほら、女王陛下も納得してくださっているではないか。それに、なんだ? 男と女が同じ部屋にいたら間違いが起こるとでもいうのか? はっはっは、まあ婚姻の話を取りまとめに来た私なら、ひょっとすると間違いを起こすかもしれんがね」
 誰も笑わなかった。
 ランカシーレ女王が恐る恐る臣下たちの顔を見やった。皆ランカシーレ女王の不遇を案じているようだった。外務大臣に至っては、悔しさのあまり歯ぎしりまでしている。皆思いは同じなのだ。
「どうした? 何故誰も出て行かないんだ?」
 ブラビラオ皇帝は訝しげな声音で言った。
「ランカシーレ女王陛下。どうか女王陛下御自身から彼等に言ってやってくれないか? この部屋から出て行ってくれ、と」
 ランカシーレ女王は臣下の顔を見渡した。誰もがランカシーレ女王の言葉を待っているようだった。おそらくここでどのような言葉を発したとしても、彼等はランカシーレ女王の心情を察して従ってくれるだろう。それくらいにこれまでランカシーレ女王が家臣との間に積み上げてきた信頼と忠誠の絆はかくも強固なものだった。しかし……今やそれが利用されようとしているのだ。
 利用されてよいものだろうか。否、よいわけがない。しかし今のゴットアプフェルフルス国には、戦えるだけの力が無い。だからこうして婚姻関係を結び、力を借りようとしているのだ。もっとも――このままだと「借りる」のではなく「奪われる」ことになるが。
 ランカシーレ女王は喉の奥がひりひりと痛むのを感じた。どう答えたらいい。どうかわせばいい。しかし何を告げたところで、ランカシーレ女王が「ゴットアプフェルフルス国始まって以来の愚王」と呼ばれかねないことには違いない。今のランカシーレ女王の言葉一つで、ゴットアプフェルフルスの歴史が終わってしまうかもしれないのだ。
 終わらせてしまっていいのだろうか。皆が愛したこのゴットアプフェルフルスを、あの血も涙も無いエスターライヒ帝国に奪われてよいのだろうか。
 しかし――いずれにしても終わるのだ。奪われて終わるか、戦って負けて終わるか、の違いしかないのだ。
 だったら君主として、皆から愛された女王として選ぶべき道はひとつだ。皆の中に眠る、ゴットアプフェルフルス国の民としての矜持に従えば、今直面している状況など些末な問題にすぎない。
 迷うことなどなかったのだ。否、初めから選択肢など無かったのだ。そう思うと、ふつふつと勇気が湧いてきた。
 ランカシーレ女王は家臣に向かって大きな声で告げた。
「この部屋から出てはなりません! ここは話し合いの場です! ゴットアプフェルフルス国の未来を決める場です! ここにいる皆様一人一人が、歴史の生き証人となるのです! 私はゴットアプフェルフルス国と運命をともにしようと思います! それが女王たる私の宿命です! 私についてゴットアプフェルフルス国とともに生きたい、という方は、どうかこの部屋で歴史の変動を見守っていただけないでしょうか!?」
 大歓声が上がった。拍手が巻き起こり、やるぞ、見届けるぞ、という声が響き渡った。
 ランカシーレ女王は涙が頬を伝うのを感じた。やはり分かってくれた、それでこそ私の愛すべき臣下だ、という思いで胸がいっぱいになった。
 さあ、言うべきことは言った。あとはどう出る、ブラビラオ皇帝!?
「……なるほど」
 ブラビラオ皇帝は睨み付けるような眼でランカシーレ女王を見据えていた。
「それがこの国の総意と見ていいんだな?」
「構いません。私の運命は、私の国とともにありますから」
 ランカシーレ女王はきっぱりと言った。
「……そうか」
 ブラビラオ皇帝はすーっとため息を吐いた。そして一瞬の静寂が訪れたかと思うと、ブラビラオ皇帝は乱暴にランカシーレ女王の首をわしづかみにした。家臣の間から悲鳴が上がり、再びざわめきが巻き起こった。
「ぐっ……あぐっ……!」
「所詮はその程度か、ランカシーレ女王。二十歳を過ぎたばかりなのに名君と呼ばれていると聞いて興味を持ったが、所詮は小娘だ。己の短絡的な欲求しか考えていない。こんな女王が治める国など……滅ぼしてくれる」
 ブラビラオ皇帝は大剣を引き抜いた。
「どけ! 道を開けろ! これからこのランカシーレ女王をエスターライヒ帝国に連れて行く! ゴットアプフェルフルス国の処分はおいおい決めてやろう! このランカシーレ女王が自我を失うまでに、どれほど命乞いをするかでお前たちの運命は決まるのだ! さあ、道を開けろ! それともこの女の命が惜しくないのか!?」
 騒然となった臣下たちは、剣を抜きこそすれ、ブラビラオ皇帝に一切手が出せずにいた。愛する女王陛下を盾に取られてしまっては、身動き一つできなかった。
「そう、それでいい、それでいいんだよ。どうやらこの国の女王は愚かだが、その家臣は賢そうだ」
 ブラビラオ皇帝はランカシーレ女王の耳元でそう言った。
 ランカシーレ女王は首を掴まれており、呼吸をするのもやっとのことだった。家臣たちは皆私の身の安全を案じてくれているのだろう。その心遣いにランカシーレ女王は涙をこぼしていた。
 ブラビラオ皇帝に掴まれたまま、ランカシーレ女王は部屋の外へと引きずり出された。廊下を過ぎ、門をくぐると、そこには豪奢な八頭立ての馬車が停まっていた。おそらくブラビラオ皇帝が乗ってきたものだろう。ランカシーレ女王が乗ってもまだゆとりあるほどのその大きな馬車は、ゴットアプフェルフルス国では誰も所有していないほどの立派なものだった。
 馬車に乗りながら、ブラビラオ皇帝は叫んだ。
「軍隊を動かそうものなら、その瞬間にこの女の息の根が止まってしまうということを忘れるな!」
 ランカシーレ女王は馬車の中へと押し込まれながら思った。この情けない姿を見て皆はどう思うだろうか。……否、皆ではない。パクリコンはどう思うだろうか。私を見限ってしまうだろうか。こんな守るに値しない女王のことなど、捨て去ってしまうのだろうか。ああ、最後にもう一度パクリコンと話をしておきたかった。今まで一度たりとも「愛している」と言ってくれなかったパクリコンだが、ひょっとすれば最後の最後で何か本心を伝えてくれていたかもしれないのに。
 馬車の扉がしまり、「出せ!」の声で馬車は動き始めた。
 私は完全にお荷物だ、とランカシーレ女王は思った。私さえいなければブラビラオ皇帝を討つことができたのに。私さえいなければ、ゴットアプフェルフルス国はエスターライヒ帝国の皇帝の首を取ることができたのに。なのに今では私は人質となっているばかりか、性的な慰め者に堕ちようとしている。こんな私には、やはり守る価値などないのだろうか。
 馬車はゴットアプフェルフルス城の門をくぐり、煉瓦で舗装された道を進んでいった。追手が来ていないことを確認したブラビラオ皇帝は、ランカシーレ女王の真横に座り顔を近づけた。
「どんな気分だ、ランカシーレ女王? これも皆、お前が招いた事態だ。己の浅はかさを悔やむがいい」
 その程度分かっている、とランカシーレ女王は感じた。これが私の選択であり、同時に私の限界だ。後悔していると思ったら大間違いだ。
「そして……悔やむついでに私の相手をしろ」
 ランカシーレ女王はその言葉の意味を理解するのに、一瞬の時間を要した。しかし一瞬の時間されあれば、ブラビラオ皇帝は容易くランカシーレ女王を押し倒すことができるのだ。
「いやっ、やめてっ! 離してっ!」
「何をいまさら。お前はエスターライヒ帝国の皇后になるために来るはずだったのだ。……まあ皇后ではなく、性の玩具になるかもしれんがな」
 ブラビラオ皇帝は再びランカシーレの肢体をまさぐった。ドレスがめくりあげられ、ランカシーレ女王の生脚が顕わになった。ブラビラオ皇帝はその生脚を愛撫し、ランカシーレ女王の下腹部に手を伸ばした。純白の下着に手がかけられ、思いきり引きずりおろされた。
「いやああああっ!」
「何を叫ぶことがある。ただセックスをするだけではないか」
 ブラビラオ皇帝はランカシーレ女王に覆いかぶさり、ランカシーレ女王の恥部に指をねじ込んだ。
「きゃああっ、いやあああっ!」
 ランカシーレ女王は恐怖と気持ち悪さで身体中に寒気が走るのを感じた。
「……ん? なんだこれは?」
 ブラビラオ皇帝はランカシーレ女王の膣に指を突っ込んだまま、ぐりぐりといじった。
「お前はまだ処女なのか? 一国の女王たる者が、囲いの男をはべらさずに、処女のままだと?」
 ブラビラオ皇帝はあっけにとられた。しかしすぐに大声で笑い始め、ランカシーレ女王に侮蔑の言葉を投げかけた。
「これは愉快だ。お前は性の喜びも楽しみも知らないのか。そりゃあ愚かな女王になるってものだ。こんな乳房をさらけ出すようなドレスを着ているから、てっきり男遊びなどたしなみの一つにしていると思っていたが……これは傑作だ。ひょっとして、婚前性交渉はすべきではない、だとか、真に愛する者に純潔を捧げるべきだ、といったくだらない教えを守り続けてきたのか? くだらん。実にくだらんよ。性などお遊びの一つだ。そしてそれを知らないということは、すなわち愚かだということだ。……だがちょうどいい機会だ。エスターライヒ帝国の皇帝陛下が直々に性の喜びを教えてやる!」
 ブラビラオ皇帝はランカシーレ女王の乳房をわしづかみにして押し倒し、己のズボンをずり下ろした。そしてブラビラオ皇帝はむき出しとなった己の股間をランカシーレ女王の下腹部に押し当てた。
「さあ、ランカシーレ女王。種付といこうじゃないか」
 ランカシーレ女王はもはや声が出せなかった。暴力を前にして、恐怖で声など出るはずがなかったからだ。私の純潔はこれで穢されるのだ、と思うと涙がこぼれてきた。身も心も汚された私に、一体何ができるというのだ。女王失格じゃないか。もういい、このまま私は性の玩具として、永久に日の目を見ないまま終わってしまうんだ。もう皆に会うことなどできまい。パクリコンにも会うことなどできまい。こんな愚かな女王を許してくれ。そして私のいなくなった王城で、時折私のことを思いだしてくれさえすればいい。そう願う資格すら無いのかもしれないが、せめて今の今だけそう願わせてほしい――。
 そう思った瞬間のできごとだった。
 天が割れるような轟音が響き、馬車全体がミシミシと音を立てて止まった。鬨の声が聞こえ、剣戟の音すら耳に届いてくる。馬車は何度も大きく軋み、馬車の壁模様が大きくゆがんだ。
「何事だ!?」
 ブラビラオ皇帝はランカシーレ女王を突き飛ばし、馬車の窓から外を見やった。ランカシーレ女王は恐怖で動けずにいたが、ブラビラオ皇帝が忌々しそうに舌打ちした音だけは妙にはっきりと聞こえた。
 ブラビラオ皇帝はランカシーレ女王の腕を掴み、馬車の扉を開けた。ブラビラオ皇帝に引きずられるままに馬車から下ろされたランカシーレ女王は、ピンヒールでうまく着地できずに「きゃあっ!」と叫んで転んでしまった。
 片腕を掴まれたまま地べたを這いながら、ランカシーレ女王は辺りを見わたした。そこにはエスターライヒ帝国の護衛の者や御者が血を流して倒れていた。そしていまだなお剣戟の音のするほうを見ると、鎧甲冑を纏った一人の男がエスターライヒ帝国の護衛の最後の一人の喉笛に剣を突き刺さんとしていた。
 血しぶきが舞い、最後の護衛は息絶えた。
「パクリコン……!?」
 不思議とランカシーレ女王には分かった。鎧甲冑を着ていても、体格や剣捌きから見て取れた。間違いなく彼は、パクリコンだった。
「女王陛下!」
 頭部の鎧甲冑を脱ぎ捨て、その男は叫んだ。泥と汗に塗れ、血がべっとりとついた剣を携え、荒々しく肩で息をするその男こそまさしくパクリコンだった。銀髪は血で赤く染まり、幾多もの切り傷をこしらえ、ランカシーレ女王の無事を確認するやいなやかすかに安堵のため息をついたその男こそ、パクリコンに他ならなかった。
 ブラビラオ皇帝は吠えた。
「誰だお前は!? 何をしに来た!?」
「目的は一つだ。見ての通りだ」
 パクリコンは荒い息まじりの答えを返した。
 ブラビラオ皇帝はとっさにランカシーレ女王のガウンの襟首を掴んで宙に浮かせた。
「軍隊を使えばこいつの命は無いと言ったはずだ!」
「俺は軍隊所属じゃない! 女王陛下の近衛兵だ! ゴットアプフェルフルス国の軍の代わりに、俺が来てやったというわけだ!」
 パクリコンの声に、ブラビラオ皇帝はハンッと侮蔑の息を吐いた。
「こいつを助けに来たというのか! ばかばかしい! お前達はこいつを人質に取られれば、何一つできやしないのだ! 先ほどの出来事を見ていなかったのか!? どうやらお前は、この女と同じくらいに愚かなようだな!」
「光栄な話だ」
 パクリコンはにやっと笑った。
 じりじりとブラビラオ皇帝に間合いを詰めていくパクリコンに対し、ブラビラオ皇帝は大剣を引き抜いてランカシーレ女王の頬に剣先をあてがった。
「それ以上近づいてみろ! この女の顔を、二度と人前に出せないくらいにずたずたに引き裂いてやるぞ!?」
「ほう」
 パクリコンは間合いこそ詰めなかったが、肯定とも否定とも取れぬ返答を為した。
「エスターライヒ帝国では、女性の価値は顔で決まるそうだな。勉強になったぜ」
「……ッ!? 何が言いたい!」
 ブラビラオ皇帝はパクリコンに問うた。しかしパクリコンは冷静な声でブラビラオ皇帝に告げた。
「ゴットアプフェルフルスではな、たとえ女王陛下がお顔に傷を負われたとしても、お身体が不自由になったとしても、女王陛下と結ばれたいと心から願う男は山のようにいる。お前にはその程度のことすら分かりやしないだろうがな」
「黙れ!」
 ブラビラオ皇帝は再び吠えた。
「お前に何が分かる! 女は肌を傷つけられれば、それだけで使い物にならなくなるのだ!」
「……じゃあ試してみるか?」
 パクリコンは挑発とも取れる言葉を吐いた。
 ブラビラオ皇帝は歯ぎしりをした。目の前の男は、一国の女王たる女性の肌がいくら傷ついても構いやしない、と言った。信じられなかった。傷物の女に何の価値があるというのだ。痣一つ無く、沁み一つ無い肌だからこそ意味があるのだ。それなのに、目の前の男はそんな簡単なことも分かっていないのか。
 しかし一つ言えることは、「分かっていない」ということは「脅しが通じない」ということだ。
 ブラビラオ皇帝は剣の切っ先をランカシーレ女王の喉元に押し当て、パクリコンに向かって叫んだ。
「ならこうしてくれる! お前が一歩でも近づいた瞬間、この女の喉笛を搔き切ってくれる! お前たちの大事な大事な女王陛下を、苦しみの中で斬殺してくれてやる!」
「なるほど」
 パクリコンは再び肯定とも否定とも取れぬ返答を為した。パクリコンは剣を構えたまま、ランカシーレ女王に言った。
「女王陛下。俺は女王陛下のご命令であれば何でも聞きます。どうぞ、何なりとご命令ください」
 ランカシーレ女王は宙づりのまま、パクリコンの真意を探った。いま命令したいことなど無い、ただパクリコンに無事でいてほしい、としか思えなかった。しかし敢えて言うなれば、パクリコンの気持ちに答えるための言葉を告げよう。世界でただ一人、パクリコンが相手だからこそ言える命令を言おう。
「パクリコン。女王からの命令です。よくお聞きなさい」
 ランカシーレ女王は大きく息を吸って、告げた。
「私の命と引き換えに、このブラビラオ皇帝を討ちなさい」
「なにっ!?」
 ブラビラオ皇帝は思わず宙づりにしているランカシーレ女王を取り落しそうになった。何を馬鹿なことを言っているのだ、とブラビラオ皇帝は思った。自らの命を捨てて何になる。この女には生に対する執着が無いのか。それとも気が狂ってしまったのか。
 しかしパクリコンはにやりと笑って答えた。
「お任せあれ、女王陛下」
「なにっ!?」
 ブラビラオ皇帝は呼吸が荒くなるのを感じた。己の君主を殺す愚か者がどこの世界にいるというのだ、とブラビラオ皇帝は疑念を抱いた。君主を守ることは家臣の絶対的な使命ではないのか。それも女王という、いくらでも利用価値のある存在を、こうも容易く失ってしまってよいものなのか。やはりこいつらは気が狂ってしまっているのか。
「分かるか、ブラビラオ皇帝? お前に、俺と女王陛下の絆が分かるか? 否、分かりやしないだろう。これまで力ずくでねじ伏せてきたお前が、君主と家臣の絆なるものを重んずるわけがない。だからこそ、お前は理解できないんだ。女王陛下の言葉も、俺の言葉も」
「黙れ!」
 ブラビラオ皇帝は叫んだ。しかしそれは虚勢に過ぎなかった。目の前のこいつらは、自分の知らない概念を頼って生きている、という不気味さを感じていたからだ。絆などたわけた話だ。全ては力関係と契約で決まることだ。だからこそ帝国を築き上げることができたのだ。だからこそ周囲の国々を滅ぼし、己の帝国の一部とすることができたのだ。それなのに……こいつらはそれを軽々と否定してきやがる。
 自らの命を捨ててまで臣下に戦えと言うこの女には、もはや人質としての価値が無いのだろうか。否、まだこのパクリコンとかいう男の心のどこかには、なんとかして女を無事に救い出そうと考えているに違いない。だからこそパクリコンはまだ斬りかかってこないのだ。だとすれば、まだこちらに分がある。
 ブラビラオ皇帝はパクリコンに告げた。
「この場で自刃しろ! そうすればこの女の命だけは助けてやる! 約束しよう!」
「誰が聞き入れるか、そんな約束」
 パクリコンは一瞬で跳ねつけた。
「俺は女王陛下のご命令を遂行する。女王陛下のお命と引き換えにお前を討つ、という、この世で最低でありかつ最も名誉ある命令を仰せつかっているのだ。お前ごときの口車に乗る俺じゃない」
「貴様……!」
 ブラビラオ皇帝はあまりにも強く歯ぎしりしたため、奥歯が欠けた。
 パクリコンとブラビラオ皇帝のにらみ合いは続いた。確かにこの状況では、どちらかが動かなければ状況は変わらない。そして状況をあえて変える必要はさほど無いのだ。なぜならブラビラオ皇帝は、ランカシーレ女王を人質として最後まで利用したいと思っていたからだ。それにパクリコンにも時を急いでランカシーレ女王を死なせる必要が無い。
 ブラビラオ皇帝はパクリコンに告げた。
「ならば別の取引だ! お前が乗ってきた馬を私に寄越せ! 私はその馬でこの女を連れて帰ってやる!」
「だから聞き入れるわけない、って言ってるだろ」
 パクリコンはまたも一瞬で跳ねつけた。ブラビラオ皇帝は頭に血が上るのを感じた。
「お前は取引というものを知らんのか!? この女を生かすための取引だぞ!? 少しは頭を使って考えろ!」
「考えるまでもないさ。なぜなら俺にとっては、お前との取引よりも女王陛下からのご命令のほうが大切だからだ」
「このっ……!」
 ブラビラオ皇帝はランカシーレ女王の首根っこを掴む力を強めた。
 そのときだった。ブラビラオ皇帝の背後の草薮から小さな針が飛び、ブラビラオ皇帝のうなじに刺さった。
「ぐうっ! な、なんだ!?」
 その瞬間だった。護衛の者の死体だと思っていた物陰から、一人の男が剣を振りかざしてブラビラオ皇帝に斬りかかってきた。ブラビラオ皇帝はとっさのことで大剣で弾いたが、うなじに刺さった針の痛みに気を取られていたせいか、大剣を思わず取り落してしまった。
「ぐぬうっ……!」
 ランカシーレ女王を掴んだまま大剣を取ろうとしたブラビラオ皇帝だったが、その大剣はすかさず現れた黒い影にさらわれてしまった。その黒い影は全身を黒い布で覆っており、回収した大剣をレイピアで叩き割って打ち捨てた。その身体は筋肉質だが線は細く、腰は妙にくびれていた。
「お待たせ」
 その黒い影は目元の布地を取り去った。
「レビア!?」
 ランカシーレ女王は思わず叫んだ。レビアはにっと笑って黒髪を棚引かせ、レイピアを構えた。
「パクリコンだけに任せておけないって思ってね。助っ人も連れてきたんだよ」
「助っ人……?」
 見ると、先ほどブラビラオ皇帝の大剣を叩き落とした男が、剣を構えてブラビラオ皇帝を睨み付けていた。大柄なその軍人上がりの男を、ランカシーレ女王はよく知っていた。
「ユーグ!? いったいどうして……!?」
「脱獄してしまい、もうしわけないと思っております、女王陛下。いかなる罰をも甘んじて受けます。しかし女王陛下の危機だと聞いて、そこのレビアという娘に頼んで出してもらったのです」
 ユーグは怒りに満ちた声音で告げた。レビアはレイピアを構えながら、ユーグに告げた。
「あたしがあなたを勝手に脱獄させた、ってことにすれば、罪は軽くなるのに」
「構いません。私は私の罪を贖うためにあそこにいたのです。これが終わればまた、あの地下牢へ戻りますから」
 ユーグはレビアを見てふっと微笑んだ。
 面白くないのはブラビラオ皇帝である。完全に武器を失い、もはやランカシーレ女王という人質しか使えるものがなかったからだ。
 ブラビラオ皇帝はランカシーレ女王の首を両手で絞めつけた。宙づりのランカシーレ女王は、途端に呼吸ができなくなってもがいた。
「お前ら、武器を捨てろ! でないとこのままこの女を絞め殺すぞ!」
「でもその前に、さっきうなじに刺さった針は早めに抜かないとまずいよ? だって毒が塗ってあるんだもん」
「なにっ!?」
 ブラビラオ皇帝はランカシーレ女王を片腕で抱き、空いた腕でうなじの針を抜き取った。
 レビアはブラビラオ皇帝に告げた。
「あと二十分もすれば全身に毒が回ってきて死ぬと思うよ。その前に降参して血清を使って毒を抜き出したほうがいいんじゃないの?」
「黙れ!」
 ブラビラオ皇帝は脂汗がにじむのを感じた。このレビアという小娘が言っていることが本当かどうか分からない。しかしこのタイミングでは「ひょっとしたら」という疑念すら、己に牙をむきかねない。してやられた、とブラビラオ皇帝は思った。
「お前ら全員自刃しろ! でないとこの女を絞め殺す!」
「お言葉ですが、ブラビラオ皇帝陛下」
 ユーグは怒りに満ちた冷たい言葉で告げた。
「人が窒息死するまで、最低でも90秒はかかります。窒息死させる訓練を積んだ者でなければ、もっと時間はかかるでしょう。90秒もの時間があれば、我々はあなたに斬りかかり息の根を止めて埋葬すること事すら可能です。それでも女王陛下を窒息死させようというのですか?」
「黙れ!」
 ブラビラオ皇帝は次第に追い詰められてゆくのを感じた。もはやこの女に人質としての価値は無い、とブラビラオ皇帝は直覚した。だったらなぶり殺しにしてやる。耳を捥ぎ、目を抉り、腕を折り、膣を裂いてやる。この女の尊厳をことごとく踏みにじってやるのだ。そうすれば目の前の奴等も慌てて許しを請うに違いない。勝機得たり、とブラビラオ皇帝は確信した。
 その確信はブラビラオ皇帝を慢心させた。
 ランカシーレ女王を宙づりにするブラビラオ皇帝の腕は疲弊しきっていた。先ほどから徐々にランカシーレ女王の位置は下がり、ついにランカシーレ女王は地に足を付けることができたのだ。
 ランカシーレ女王は地を踏みしめ、ブラビラオ皇帝の足許を見やった。完全に油断している。ここでひとつ、ドレスで着飾っただけのか弱い女にどれほどの怒りが込められているかを、知らしめてやらなければなるまい。
 ランカシーレ女王はさっとドレスをたくし上げた。そして右足を勢いよく振り上げ、王族専用の婚姻用十三センチピンヒールの踵で思いきりブラビラオ皇帝の右足の甲を踏み抜いた。
「ぎゃあああああああっ!」
 ブラビラオ皇帝の悲鳴がこだました。ブラビラオ皇帝の足の肉は抉れ、骨は砕かれ、腱は破断した。
「これで終わりではございません!」
 ブラビラオ皇帝の手から離れ自由になったランカシーレ女王は、ドレスをたくし上げたままブラビラオ皇帝の左足の甲も踏み抜いた。
「ぐぎゃああああああっ!」
 ブラビラオ皇帝はがくりと膝をつき、足を抱えてうずくまった。もはやブラビラオ皇帝の足は、己の身体を支える機能を全く果たしていなかったからだ。これでは地を這うより他無かった。ましてや武器を取って戦うなど、できるはずもなかった。
 ランカシーレ女王はドレスとガウンを翻して、パクリコンのほうに向きなおった。
「この男にさらなる苦痛を与えたいと思います。私の怒りはこの程度では収まりません。この男に、男としての最大級の屈辱を与えてやらねば気が済まないのです」
「仰る通りです」
 パクリコンはランカシーレの傍を通り過ぎ、地面にうずくまっているブラビラオ皇帝に告げた。
「おい。女王陛下がお前にご命令だ。仰向けになれ」
「ぐうう……! 何故だ……!」
「女王陛下のご命令なのだから、素直に従え」
 パクリコンは剣でブラビラオ皇帝の腹を突き、無理やり仰向けにさせた。
 ランカシーレ女王はブラビラオ皇帝の左の体側に近づき、見下ろした。先ほどまで威勢よくゴットアプフェルフルスを馬鹿にし、女王を侮辱し、絞め殺さんとしていた男が、哀れな表情をしたまま命乞いをしようとしているのだ。
「た……助けてくれ……! 命だけは……!」
「女王に不埒な行いをした廉で、裁判にかけさせていただきます。……しかし、それはそれ、です。私も人の子ですので、人の目の無いところでは傍若無人な行いをいたしたりもします」
 ランカシーレ女王は空色のドレスをたくし上げた。フリルとフリルの間から、生脚が覗き見えた。
「何を興奮なさっているのですか」
 ランカシーレ女王は冷ややかな声でブラビラオ皇帝に告げた。なにしろ仰向けにさせられたブラビラオ皇帝の股間の状態は、皆に丸分かりだったからだ。
「たかが女に足を踏み抜かれ、情けない声で命乞いをし、おまけに女性のドレスの中を覗いて興奮しようだなど、まったくもって愚かしい。あなたには矜持というものがないのですか」
「頼む……命だけは……!」
 ブラビラオ皇帝の命乞いに耳を貸さず、ランカシーレ女王は振り上げた右足のピンヒールの踵で、ブラビラオ皇帝の左手を踏み抜いた。「ぐぎゃああっ」と悲鳴が上がり、左手の腱は破れきってしまった。
「私の身体を押し倒そうとしたばかりか、私を絞め殺そうとした悪い手には、罰を与えねばなりません」
 ランカシーレ女王はドレスを翻してブラビラオ皇帝の右の体側にまわり、同じく右手をピンヒールの踵で踏み抜いた。
 ブラビラオ皇帝の悲鳴とともに、右手の腱も完全に破断した。
「それから人を絞め殺すということがどのようなことかを、あなたにも理解させねばなりません」
 ランカシーレ女王はブラビラオ皇帝の顔に近くに歩み寄り、ドレスをたくし上げた。そしてブラビラオ皇帝にドレスの中を覗かれるのも構わず、ブラビラオ皇帝の喉にピンヒールの踵を押し当てた。「ぐけっ、ぐけっ」という嗚咽が響き、ブラビラオ皇帝は呼吸ができなくなった。
「80秒ほど続けてさしあげます。なにしろ裁判にかけるためには、あなたを生かしておかねばなりませんもの」
 ランカシーレ女王はそう冷たく言い放った。ブラビラオ皇帝は懇願のためか、右手でランカシーレ女王のドレスを掴もうとした。
「おやめなさい。汚らわしい」
 ランカシーレ女王はブラビラオ皇帝の右腕の関節にもピンヒールの踵を置き、体重をかけた。もはや完全にランカシーレ女王の身体はブラビラオ皇帝の身体の上に乗っかっていた。それもピンヒールの踵のみでバランスが保たれている。ブラビラオ皇帝の肉は抉れ、鬱血がたまり、意識が遠のいてゆく。
「さて、最後の仕上げです」
 ランカシーレ女王はドレスを翻してブラビラオ皇帝の頭部から離れた。そしてブラビラオ皇帝の股間に歩み寄り、こう言った。
「あなたは女性を、性の玩具だと思い込んでいる節があります。それでは世の中の女性が不幸になるばかりです。ならばいっそのこと、あなたが二度と女性を弄べないようにしてしまいましょう」
 ランカシーレ女王はドレスをたくし上げた。そして不浄のものを踏み抜く右足を振り上げた。ブラビラオ皇帝はランカシーレ女王の生脚を見て興奮したのか、それとも己の運命を悟ったためか、男根そのものを興奮させてしまっていた。下半身に衣類をまとっているブラビラオ皇帝だったが、そのあまりに脈打つ野太い男根は服の上からでも容易に確認できた。
「さようなら」
 ランカシーレ女王は勢いよくピンヒールの踵を振り下ろし、ブラビラオ皇帝の男根に踏みつぶした。ライチが砕けるような音がして、ブラビラオ皇帝の男根は千切れてしまった。
「ぐがああああっ……があああっ……!」
 ブラビラオ皇帝はあまりの激痛によって、意識を失ってしまった。
「情けない。たかが女一人にここまでやられてしまう皇帝なんて、皇帝として役に立ちません。出直してきなさい」
 そう言って、ランカシーレ女王は、ふう、とため息を吐いた。
 ランカシーレ女王はドレスを翻して、パクリコンとレビア、ユーグのほうへと向きなおった。三人ともランカシーレ女王がまさかここまでするとは思ってもみなかったようで、少しばかり落ち着きのない表情をしていた。特にパクリコンとユーグは心なしか股間を押さえているようにも見えた。
 ランカシーレ女王は三人の前でドレスをつまみ、深々と頭を下げた。
「このたびは、お三方のご活躍によって私は命を救われました。同時にゴットアプフェルフルス国の未来も救ったといえましょう。……改めまして、ありがとうございました」
「ど、どういたしまして……」
 パクリコンが代表して、股間を押さえながらぎこちない返答をした。ランカシーレ女王はそれに気づいたのか、
「んもう、私が常日頃あのような乱暴なことをするわけないでしょう? ただ、お灸を据えるためにはあれくらい必要だったというだけですのに」
「そ、そうですか……」
 パクリコンはそれでも股間のこわばりを取れずにいた。
 ランカシーレ女王はレビアとユーグに向かっていった。
「レビア。ユーグを連れてきてくださってありがとうございます。特例措置として、ユーグの脱獄および脱獄補助は不問といたしましょう。そしてお礼としてはささやかなものですが、後で私から直々に勲章を授けたいと思います。これからも私の良き友として、そして良き護衛として、守って下さいませ」
「もちろんですよ、女王陛下。任せてください」
 レビアの明るい声が響いた。
「それからユーグも」
「は、はい!」
 ランカシーレ女王から不意に声をかけられたユーグは、上ずった声をあげた。
「よくぞ助けてくださいました。あなたの良心と国を思う心を信じる私に、よく応えてくださいました。あなたにも勲章を授けたいと思います。どうかこれからも、私のよき大臣として仕えてくださいませ」
「は……い、いえ、女王陛下。しかし……その……先日の収賄の罪をまだ私は贖っておりませんゆえ……その……法に則った罰をしっかりとお受けいたしたいと思いますが……」
「んもう! それくらい情状酌量で軽くしてさしあげますから、しゃんとなさい!」
「はい!」
 ランカシーレ女王がピンヒールをカツンと鳴らしたことにより、ユーグはビクンと震えた。ランカシーレ女王はやがてその事実に気づき、わざとらしい口調で言った。
「あら、ごめんなさい。私は決して、この国で一番逆らってはいけないのは誰か、だとか、誰の命令が絶対であるか、といったことをあなたに押し付けたいわけではございませんのに」
「だ、大丈夫です、女王陛下! 何があろうと私は女王陛下をお守りし、女王陛下の命を第一に遂行いたしますので!」
 股間を押さえながらそう言うユーグを見て、ランカシーレ女王はくすりと笑った。
 ランカシーレ女王はゴットアプフェルフルス城を見やり、言った。
「そろそろ帰らねばなりません。レビア、城中の者にこの事態を伝え、ブラビラオ皇帝の裁判を執り行う準備をお進めなさい。ユーグ、外務大臣に至急連絡を取り、この事実を諸外国の君主にお伝えなさい。特にエスターライヒ帝国に滅ぼされた国々の君主にとっては良い機会です。入念にこの事実をお伝えなさい」
「はっ!」
 レビアとユーグの声が重なった。
「それからパクリコン」
「はい」
 ランカシーレ女王は目を細めて言った。
「私をゴットアプフェルフルス国にお連れなさい。レビアとユーグはそれぞれ馬を使うでしょうから、あなたの馬の背に私をお乗せなさい」
「はい」
 パクリコンも笑顔で答えた。
 その様子を見たユーグは、訝しげな表情でレビアに尋ねた。
「少し聞きたいのだが……あの二人はひょっとして……」
「うん、そうだよ」
 レビアはユーグの問いを聞き終えるより前に答えた。ユーグは「あー」と複雑そうな声をあげていたが、やがておもむろにパクリコンに近づき、
「決して女王陛下を怒らせないように。決して、だ」
と熱い忠告を耳打ちした。パクリコンはそれを聞いて、
「ここまでまざまざと見せつけられちゃあなあ……」
と深刻そうな面持ちでつぶやいた。
 ユーグはそんなパクリコンに同情の念を抱いたが、やがてレビアに、
「ことは急がねばなりません。先に二人で帰りましょう!」
と誘った。
「そうだね!」
とレビアは快活に答え、二人とも馬にまたがってさっさと駆けていってしまった。
「二人とも元気だなあ……」
と呟くパクリコンに対し、
「気を遣ってくださったのですよ」
とランカシーレ女王は囁いた。パクリコンはそんなランカシーレ女王をまじまじと見つめていたが、やがて血まみれになっていた鎧甲冑の留め具を勢いよく全て外した。真っ黒な装束が現れるやいなや、パクリコンはランカシーレ女王を抱きしめた。「きゃっ」と声を上げるランカシーレ女王を、パクリコンは強く強く抱きしめた。
「心配したんですよ」
「ごめんなさい。どうやら私には、どうしてもあなたが必要のようです」
 パクリコンはランカシーレ女王の髪を撫ぜ、頬に接吻を施した。
「女王陛下」
 パクリコンはランカシーレ女王の肩に手を置き、改めてランカシーレ女王の姿を品定めするかのような目で見た。
「何です?」
「女王陛下」
 パクリコンはランカシーレ女王の問いかけに答えず、ランカシーレ女王の乳房にキスをした。ぷるんと弾力のある脂肪がパクリコンのキスに応えた。
「女王陛下」
 パクリコンはランカシーレ女王の首元に何度も何度もキスを打ちつけた。ランカシーレ女王の腰に手を回し、ランカシーレ女王の身体を抱き寄せた。
「パクリコン……? ひょっとして……ここで……ですか?」
 ランカシーレ女王は恐る恐る尋ねた。パクリコンはランカシーレ女王の瞳を見つめたまま、
「今しかない、と思いました」
と答えた。ランカシーレ女王は何か反論したそうな面持ちだったが、諦めたかのように、
「では押し倒しなさい。あなたの好きになさい」
と言った。
 パクリコンはその様子を見て、何故か深くうなずいた。ランカシーレ女王がきょとんとしていると、パクリコンはランカシーレ女王にこう言った。
「いやあ、もしブラビラオ皇帝にすでに強姦されていたら、ここで拒絶されるだろうな、と思っていたんです。ですがまあこの調子だと、女王陛下の純潔はご無事だったようですね。いやあ、よかったよかった」
「よくありません、バカ!」
 ランカシーレ女王はパクリコンの頬をつねった。
「痛い痛い! 何するんです!」
「女心を弄んだ罰です! 私に、あなたの好きになさい、とまで言わせておきながら、その気は無かったとは何事ですか!? いい加減になさい! あなたのそういう、女心をまるで理解していないところが気にくわないのです! 今だったら……辺りに誰もいませんし……構いませんのに……!」
 そう言ってランカシーレ女王はうなだれた。パクリコンはランカシーレ女王の髪を撫ぜ、膨れた頬にキスをしてこう告げた。
「女王陛下。このようなところで勢いに任せて純潔を捨てるものではありません。身体が結ばれるのは、結婚という公の約束を果たしてからです。それで構いませんか?」
「んもう……」
 ランカシーレ女王はしぶしぶ納得したが、最後に一つだけ付け加えた。
「……ちゃんと責任を取ってくれるのでしょうね?」
「もちろんですとも」
 パクリコンは明るく答えた。

 ランカシーレ女王を掴まらせたパクリコンが馬に乗ってゴットアプフェルフルス城に現れると、群衆が集まり騒然となった。既にレビアやユーグから事の顛末を聞いていたとはいえ、皆は実際にランカシーレ女王の姿を目にしない事には安心できなかったからだ。
 先に馬から降りたパクリコンは、ランカシーレ女王の手を取り馬から降ろさせた。ランカシーレ女王は群衆に向けて告げた。
「皆様。このたびは大きな騒動がございましたが、私は無事に戻ってくることができました。これも皆様のご協力のおかげでございます。ゴットアプフェルフルス国の未来がどうなるかはわかりませんが、私は皆さんとともに運命を共にしたいと思います」
 拍手喝采が巻き起こった。ランカシーレ女王は笑みを浮かべ、右手を上げて皆を制した。
「レビアやユーグから、おおよその事態をお聞きでしょう。後日私から改めてご説明はいたしますが、当面はレビアとユーグからお聞きになるお話をもとに、裁判や外交などの準備を進めてくださいませ。それから裁判のため、道中に置き去りにしてきたブラビラオ皇帝をどなたか回収していただければと思います。……できればえぐい肉体に慣れた方であればよろしいのですが」
 その言葉を聞いて、群衆の半分は笑い、半分は股間を押さえた。
 ランカシーレ女王はその反応を見て満足していたが、やがて立ち去ろうとしているパクリコンの姿を見て慌てて声をかけた。
「これ、パクリコン。どちらへ行こうとしているのです?」
「え? 鎧甲冑を洗いに、ですが……」
 するとランカシーレ女王はドレスをたくし上げて、速足でパクリコンのほうへと歩み寄った。ランカシーレ女王は呆れたような表情をしていたが、やがて群衆に向かってこう叫んだ。
「皆様に大事なことをもう一つお知らせせねばなりません。それは……これです」
 そう言ってランカシーレ女王はパクリコンの両頬を手ではさみ、その口唇に接吻をした。周囲から歓声とどよめきが巻き起こり、指笛までもが響き渡った。
 パクリコンはランカシーレ女王の突然の接吻にどぎまぎしていたが、やがてランカシーレ女王の腰に手を回し、ぐっと抱きしめてより熱い接吻を施した。唾液が混ざり、舌が絡み合った。
「……こういうことです」
 パクリコンから身体を離したランカシーレ女王は、再び群衆に向かって叫んだ。
「私が私を守って下さった方と結ばれることに賛成の方は、拍手をお願いいたします」
 大喝采が巻き起こった。パクリコンは照れながらもランカシーレの手を握りしめていた。

 それからの事の流れは歴史を変えるに値する出来事の連続だった。
 まずはブラビラオ皇帝の裁判について記さねばなるまい。この裁判は、原告が女王で被告が皇帝、という極めて異例のものとなった。傍聴席にはゴットアプフェルフルス国のみならずエスターライヒ帝国の要人や諸外国の外交官も出席していた。エスターライヒ帝国の要人たちは、初めこそブラビラオ皇帝の無実を信じ、これを機にゴットアプフェルフルス国を覆してやろう、と思っていたが、裁判場に現れたブラビラオ皇帝を見て愕然となった。なにしろランカシーレ女王の堂々たる発言に対し、ブラビラオ皇帝はただ小さな声で「はい……」と「仰るとおりです……」としか言えなかったからだ。皇帝らしい威厳はもはや完全に消え失せてしまっていた。
 ブラビラオ皇帝が足と手を怪我したことに関しては「女王を犯そうとして返り討ちにあった跡」として、皇帝自らが認めた。その事実は、ブラビラオ皇帝の威厳を失墜させるのに十分すぎるほどのものだった。なお千切れてしまった陰茎については一切の言及が無かったが、尾ひれのたくさんついた噂話の流布によって、後に人々はその事実を知ることとなった。
 ブラビラオ皇帝の声は蚊の泣くようなものだった。そのため裁判場では、ランカシーレ女王は何度も「声が小さい!」と怒鳴り、ピンヒールをカツンと鳴らした。そのたびごとにブラビラオ皇帝は身を縮ませ、ただただランカシーレ女王に従うほかなかった。もはやブラビラオ皇帝はランカシーレ女王に何一つとして勝てなくなってしまっていた。
 ブラビラオ皇帝の罪状は強姦罪となった。実際にはランカシーレ女王は犯されていないのだが、ランカシーレ女王のこと細かな情景描写にブラビラオ皇帝は何ら反論できなかったのだ。密室で押し倒し、下着を脱がせ、膣に指を入れて処女膜に触れる、……という行為は女性への冒涜であり強姦罪に値する、というランカシーレ女王の主張に、ただただブラビラオ皇帝は認めるばかりだった。さらには強姦を通して国を制圧しようという意図も、罪状に加算された。ランカシーレ女王がピンヒールをカツンと鳴らすと、ブラビラオ皇帝は罪状を認める書類に署名をした。
 ゴットアプフェルフルス国において強姦罪は死刑とされている。しかし両方の合意があれば、司法取引によって刑罰を軽減させることも可能となっていた。ブラビラオ皇帝は、何でもするから死刑だけはやめてくれ、と懇願した。その懇願に対し傍聴席からは「女王陛下を強姦しようとした口で今更何を言うか」「責任を取れ」「これまでのどんな強姦魔よりも劣悪だ」と野次が飛んだ。ランカシーレ女王は傍聴席をなだめ、ブラビラオ皇帝に司法取引に応じる旨を示した。エスターライヒ帝国30年分の予算に相当する賠償金、エスターライヒ帝国とゴットアプフェルフルス国の間の関税の決定権の完全譲渡、軍事兵器の押収、エスターライヒ帝国での駐軍の容認、地下資源豊富な領土の受け渡しなどをランカシーレ女王は求めた。さすがに容易く首を縦に振れなかったブラビラオ皇帝だったが、ランカシーレ女王がハイヒールをカツンと鳴らす音を聞いて、慌てて合意を認める署名を行った。
 これらによりブラビラオ皇帝の死刑は免除され、代わりに懲役三十年の刑が言い渡された。あまりにも高くついた強姦罪であった、と誰もが思ったことだろう。
 エスターライヒ帝国はしばらくの間、投獄されている皇帝によって統治されることとなった。エスターライヒ帝国では「代わりの皇帝を立てるべきだ」との声もあったが、ブラビラオ皇帝があまりにも多くの女性と子供を作っていたため、内部争いが激化するだけに終わった。
 牢獄内のブラビラオ皇帝は「まだ退位したくない」という旨の文書をエスターライヒ帝国に送った(正確には、ランカシーレ女王に言われて送らざるをえなかった)。しかし皇帝なる権威が失墜した今となっては、どこまでその文言が守られるかは定かではなかった。
 これまで力ずくで治められてきたエスターライヒ帝国近隣諸国は、ここぞとばかりにエスターライヒ帝国に独立の意を申し立てた。予算が立てられなくなり、軍事力を失い、命令系統が破綻し始めたエスターライヒ帝国には、もはや近隣諸国を繋ぎとめることはできなくなっていた。結果、エスターライヒ帝国の一部は完全に崩壊し、わずか一年の間で二十三もの小国が独立を果たすこととなった。

 一方でゴットアプフェルフルス国の英雄となった三人は、またもとの生活を送ることとなった。
 勲章を贈与されたレビアはランカシーレ女王の手となり足となり、様々な情報を集めてはランカシーレ女王に届けつづけた。同時に斥候としての技能も認められたレビアは、政界のみならず軍事界においても華々しい活躍をつづけていった。流れるような黒髪に端正な顔立ちのレビアに言い寄ろうとする者も数多く現れたが、あっという間に姿をくらましてしまうレビアを追いかけ続けるのは至難の業だった。それくらいの能力を持つ者でないと彼女を口説く資格など無いのだろう、と噂されるほどだった。
 同じく勲章を贈与されたユーグは、その熱い決意に従い収賄の罪を贖うため、しばらく地下牢で過ごした。しかし地下牢でも公務をこなし、エスターライヒ帝国の地下資源地域分割において大きな業績を残したユーグは、やがて「もっとも栄誉ある囚人」というあだ名を付けられることとなった。おまけにユーグは、外交上の大きな会談に際しては必ず出席を許された。現場を知り熱意あるユーグがいれば、ほぼ会談には困らなかったからだ。そのため「地下牢にいるよりも、外に出してもらえている時間のほうが長いのではなかろうか」と噂されるほどだった。もっともユーグ自身は必ず毎晩地下牢に戻り、薄暗くじめじめした寝床で眠りについていた。こればかりは誰がどうなだめようとも、
「これが私の贖罪だから」
という言葉によって続けられた。
 パクリコンは最も話題の花を咲かせた人物だったといえよう。あの厳格なランカシーレ女王が、人前で堂々とパクリコンをキスをして交際宣言をしたからだ。王城内では「いつから交際が始められていたのか」「いつ挙式をするのか」といった噂話で持ちきりだった。その中で誰一人として近衛兵というパクリコンの身分を貶そうとしないのは、ランカシーレ女王とパクリコンの間にある絆を皆がその目で確かめたからだろうか。
 ランカシーレ女王にはいつもパクリコンが付き添うようになった。いつも鎧甲冑を身にまとい、無表情でランカシーレ女王の後ろに従うパクリコンは、もはやランカシーレ女王にとってなくてはならない存在として認められるようになった。ランカシーレ女王がときおり気まぐれにパクリコンにキスをするのも、お馴染みの光景となっていた。そしてランカシーレ女王の寝室という、この世で最も神聖な場所の中で警護することが許されたパクリコンは「奴も男なら既にやってしまっているだろう」「いや、そこを抑えてこその騎士道じゃないか?」としきりに噂されていた。
 エスターライヒ帝国から賠償金や軍事兵器が手に入るたびに、ランカシーレ女王はパクリコンだけを連れて地下牢へと降りていった。地下牢の最も頑強な一室に入れられているブラビラオ皇帝に、その事実を教えるためだ。ランカシーレ女王は愉快に笑いながら、ブラビラオ皇帝にゴットアプフェルフルス国の獲得物の話をした。ブラビラオ皇帝が目をそらそうとするたびに、ランカシーレ女王はカツンとハイヒールを鳴らした。そしてブラビラオ皇帝の目の前で、作り立てのソーセージをハイヒールの踵で踏みつぶす、といった見世物もやってのけた。ブラビラオ皇帝はそのたびごとに悲鳴を上げ、のた打ち回り、頭を壁に打ち付けた。その様子を見てランカシーレはいつも笑顔満面だった。パクリコンは「女とはかくも恐ろしい生き物だったのか」という恐怖を強く抱いた。

 ゴットアプフェルフルス国には、幸せが満ち溢れた。そしてついに、その中でも最も幸せな一日が訪れようとしていた。

 ゴットアプフェルフルス国の大聖堂の控室にて、ランカシーレ女王は薄手のガウン一枚を羽織り、目の前に準備されてあるドレスに目を見張っていた。そのドレスは純白で、何重にもフリルが重ねられてあり、ドレスの裾は長く床に広げられてあったからだ。目のくらむような宝石が散りばめられ、裾周り七メートルはあろうかというその豪奢なドレスを前に、ランカシーレ女王は言葉を失っていた。
「では女王陛下。着付けをいたします」
 下女の声に、ランカシーレ女王ははっとなった。ランカシーレ女王はガウンを脱ぎ、そのしなやかできめ細かい身体を露わにした。豊満な乳房が揺れ、臀部は艶めかしく光った。
 ランカシーレ女王は両脚に真っ白なガーターリングを通した。太腿の中部で収まったガーターリングは、ランカシーレ女王の生脚を飾るにふさわしい逸品だった。
 ランカシーレ女王は下女に、パニエを取りつけてもらった。ゴットアプフェルフルス国のパニエは鯨の骨でできており、重いドレスにも耐える丈夫さを売りとしていた。腰の位置にあるパニエの留め具はしっかりと固定され、腰の括れが顕わになり、パニエは広げられた。
 そしてランカシーレ女王はついに、あの純白のドレスを頭からかぶった。幾重もの絹がランカシーレ女王を包み込んだ。ランカシーレ女王はドレスから頭と肩を出し、ドレスを指でつまんだ。真っ白な生地が指の中でさらさらと流れた。
 下女が裾を整え終えると、ランカシーレ女王の前に大きな鏡が置かれた。鏡の中には、純白のドレスに身を包んだ自分自身が立っていた。緊張した面持ちで、興奮が隠しきれていなかった。
「女王陛下、お綺麗です」
という下女の声に、
「はい……」
としかランカシーレ女王は答えられなかった。
 下女はランカシーレ女王の頭にヴェールをかぶせ、ランカシーレ女王の手にブーケを持たせた。今の自分は幼いころから夢見てきた花嫁の姿に他ならない、という思いはランカシーレ女王を高揚させた。
 下女がランカシーレに声をかけた。
「では女王陛下。いつでも準備は整っております。どうぞ、聖堂のほうへ」
 ランカシーレ女王はドレスの裾を掴み、聖堂の入り口へと向きなおった。ドレスの裾が重く、なかなか言うことを聞かない。これまでのどんなドレスよりとも重みが違う、とランカシーレ女王は直覚した。
 ランカシーレ女王はドレスを少したくし上げながら、ゆっくりと歩いて聖堂の入り口の扉の前に立った。
 ランカシーレ女王はふーっと大きなため息を吐き、ぎゅっとブーケを握りしめた。
 やがて聖堂の扉が開かれた。聖堂にいた大勢の人たちは立ち上がり、ランカシーレ女王の姿を見た。嘆息の声が漏れる音が聖堂中にこもった。
 ランカシーレ女王は真っ赤な絨毯の上を一歩一歩進んでいった。
 ふと前を見ると、壇上の教皇の前に愛すべきパクリコンがにこやかに立っているのが見えた。私はこれから花嫁になるのだろう。誰のものでもなかった私が、誰かのものになるのだ。どんなにこの日を待ち望んできたことか。幼いころから王位継承者として厳しい躾を受け、あらゆる知識を教えられ、「お前は女王となる存在なのだから」の一言であらゆる我が儘を封じられてきたこの人生において、今一番私は幸せなのだ。長年の夢が叶うのだ。
 真っ赤な絨毯の上をドレスの裾が引きずられる音が響き、王族婚姻用の十三センチピンヒールが絨毯を踏みしめる感覚が伝わってくる。
 ランカシーレ女王は教皇の前に至り、パクリコンの左隣に並んだ。
 教皇はゆっくりと誓いの文句を唱えはじめた。ランカシーレ女王には、その誓いの文句が耳に入ってこなかった。なにしろこんなに幸せな場面で、教皇の言っていることなんて聞いていられなかったからだ。今私の隣にいる花婿は、私のこの幸せをどれほど理解してくれているだろうか。否、理解なんてしてくれなくてもいい。なぜなら私の今の幸せは、世界で私しか感じられないのだから。
 ランカシーレ女王の隣で「誓います」という言葉が発せられた。
 次は私だ、とランカシーレ女王は思った。誓います、という言葉くらい誰にだって言える。どうせなら堂々と言ってやろう。私の胸の内のこの幸福を、誓いますという一言にぶちこんでやるのだ。誰もが驚嘆するくらいの言葉にしてやろう。歴史に残る誓いの言葉にしてやろう。ゴットアプフェルフルス国中のどんな女性の誓いの言葉にも勝るような、女王らしい力強い誓いの言葉にしてやるのだ。
「……死が二人を別つまで、愛することを誓いますか?」
「ち、誓います」
 声が上ずり、肝心なところで言い淀んでしまった。何が女王らしい力強い誓いの言葉だ。こんなので誓いの言葉と言えるのだろうか。ランカシーレ女王は頭の中がぐるぐると回り始めるのを感じた。
 しかしそんなランカシーレ女王を正気に戻したのはパクリコンだった。パクリコンはランカシーレ女王の手を取り、ランカシーレ女王の左手のグローブを外した。そしてその左手の薬指に、銀色に光る指輪をそっとはめた。指輪は綺麗にランカシーレ女王の薬指を飾った。
 ランカシーレ女王はそれに倣い、パクリコンの左手のグローブを外した。いつも私を守ってくれている手だ、とランカシーレ女王は思った。その大きくて分厚く、力強い手の薬指に、同じく銀色に光る指輪を通した。
 パクリコンはランカシーレの方に一歩近づき、ランカシーレ女王のヴェールをそっと上げた。ヴェールが取り払われはっきりと見えたパクリコンは礼服に身を包んでおり、いつもより七割増しに頼もしく見えた。パクリコンはそっとランカシーレ女王の頬に手を添え、優しく彼女の口唇に接吻を施した。
「これにて神の名のもとに、二人を夫婦と認めます。皆様、拍手を」
 教皇の声にともない、聖堂が拍手の音で包まれた。拍手の中でパクリコンに見つめられ、ランカシーレ女王は頬がにやけるのを感じた。構わない、今はどんなに威厳の無い女王でいたってかまわない。なぜなら私はこの上なく幸せなのだから。そうランカシーレ女王は思った。
 パクリコンが腕を差し出したので、ランカシーレ女王はその腕に縋った。二人はより添いながら、赤い絨毯の上を歩いて行った。ランカシーレ女王はただ心臓が早鐘を打つのを感じながら、一歩一歩進んでいくよりほか無かった。もし私独りだけであれば、まともに立つことすらままならなかっただろう。しかし今は隣にパクリコンがいる。そう思えるだけでランカシーレ女王は歩いて行けるのだ。
 聖堂の大きな入口から二人は出た。出口にも大勢の観客がランカシーレ女王の姿を一目見ようと集まっていた。
 パクリコンに連れられ、ランカシーレ女王は聖堂前の階段を一歩ずつ降りた。ピンヒールの踵がぐらぐらし、今にもよろめいてしまいそうだったが、パクリコンがそれを支えてくれた。
 二人は聖堂の前に停められてある真っ白な四頭立ての馬車に乗った。パクリコンの手に引かれたランカシーレ女王が乗ると、馬車の扉が閉められた。パクリコンは観客に向かって笑顔で手を振っていた。ランカシーレ女王はそれにならい、ぎこちない表情で手を振っていた。
 馬車は王城の敷地内の大きな道を進み、門の外に出た。やがて馬車は王城付近にある、王族所有の豪奢な別館の前に停まった。御者が馬車の扉を開け、パクリコンが先に降りた。そしてパクリコンに抱きかかえられながら馬車を降りることを、ランカシーレ女王は誇りに思った。こうして誰かに抱っこされてほしかったっけ、とランカシーレ女王は思い返した。でもこれからはパクリコンがそれをしてくれる。なぜならパクリコンは私の夫なのだから。
 パクリコンは別館の大きな扉を開け、ランカシーレ女王を中に通した。別館の奥には立派な天蓋付のベッドが設けられてあり、薔薇の花びらが散らされてあった。ランカシーレ女王がそのベッドに見とれていると、背後で扉がバタンと閉まる音が聞こえた。
「女王陛下」
 パクリコンの声が聞こえた。ランカシーレ女王は、何と返事をすればいいか分からなかった。こんなに豪奢なドレスを纏い、長い裾を棚引かせていても、所詮ランカシーレ女王はか弱い女に過ぎなかった。いざパクリコンと二人きりになってしまっただけで、こんなにもドキドキしてしまうだなんて。ランカシーレ女王はそう感じながら頬を染め、ただ俯いていた。
「女王陛下」
 パクリコンはランカシーレ女王の隣に立ち、肩を抱いた。
「こちらへ」
 パクリコンに促されるがままにランカシーレ女王は歩を進めていった。
 パクリコンはベッドに近づくと、シーツの上の花びらを脇に落とした。そしてランカシーレ女王をベッドに腰掛けさせ、口唇に接吻を施した。
「女王陛下。覚悟はお決まりですか?」
 パクリコンの声にランカシーレ女王はくすっと笑った。
「何を仰いますやら。覚悟などとうに決めております。ここには私しかおりません。私はあなたのものです。どうぞご自由になさい」
 ランカシーレ女王はできるだけ憎まれ口に聞こえるように言った。しかしパクリコンはふっと微笑んで、
「ではそういたしましょうか」
と言い、ランカシーレ女王にさらに接吻を施した。
 パクリコンはランカシーレ女王をベッドの上に押し倒した。パニエがたわみ、ドレスが翻りそうになるのをランカシーレ女王は右手で押さえた。パクリコンはランカシーレ女王のドレスに上に覆いかぶさり、ランカシーレ女王の頬に何度も接吻をした。
 パクリコンがランカシーレ女王の首回りに唇を打ち付け始めたので、ランカシーレ女王は身体中を弛緩させた。肌に伝わる接吻の振動が心地好かったからだ。パクリコンはランカシーレ女王の首筋から鎖骨にかけて接吻を施していき、ランカシーレ女王の乳房にもちぅっと唇を打ち付けた。
 パクリコンはランカシーレ女王のドレスに手をかけ、ゆっくりとずり下ろした。身体にドレスをきつく縛りつけている紐をほどき、パニエの留め具を一つ一つ外しながら、何度も何度もパクリコンはランカシーレ女王の身体に接吻を続けていった。
 やがてランカシーレ女王の身体から一切の装飾物が取り払われた。裾の長いドレスも、鯨の骨でできたパニエも、真っ白なガーターリングも、脱ぎ捨てられてしまったのだ。
「女王陛下。最後の頼みの綱をお取りしますが、構いませんか?」
とパクリコンは言い、ランカシーレ女王のピンヒールに手をかけた。確かに抵抗するならこれが最後かもしれない。このピンヒールで思いきりパクリコンを蹴とばしてやれば、純潔を守りとおせるかもしれない。しかし……そんなことは無意味だ。なぜなら純潔は、今目の前にいるこの男に捧げるために守り通してきたのだから。
 ランカシーレ女王は為されるがままにピンヒールを取り外された。パクリコンはそんなランカシーレ女王の足の裏にも接吻を施した。もはやパクリコンに接吻されていないところなど無い、と言えるくらいに、パクリコンは接吻によってランカシーレ女王に己の刻印を刻み付けていった。
 パクリコンはランカシーレ女王に顔を近づけた。目と目が見詰め合い、互いの息遣いが交差する。
「女王陛下。愛しています」
 ランカシーレ女王は、ついにその言葉を聞くことができた。これまで「愛している」という言葉を聞いたことがなかったからといって、各別不都合など無かった。パクリコンはそれでも私を愛していると信じられたし、取り立てて愛しているという言葉が聞きたかったわけではなかった。しかしどうしても、今のこの瞬間だけは聞きたかったのだ。私はやはり一人の女に過ぎない、とランカシーレは思った。
 パクリコンの身体がランカシーレに重なった。パクリコンからのディープキスを受け取ったランカシーレは、絞り出すかのような声でパクリコンに告げた。
「あの……二つお願いがございます。聞いてくださりませんでしょうか……?」
「何でしょう?」
 パクリコンはランカシーレ女王の顔の十五センチ真上まで己の顔を近づけたまま言った。ランカシーレ女王は続けた。
「一つめは……あの……私にはこれまでこういった経験がございません。ですのであなたがなさるやり方こそが正しいものと信じてしまいます。あなたは私をいかようにも味わうことができると言っても過言ではないでしょう。ですが……その……できるだけ……」
 ランカシーレ女王は蚊の鳴くような声で続けた。
「できるだけ……優しくしてください…………」
 その声にパクリコンは微笑み、ランカシーレ女王の髪を撫ぜた。
「もちろんですとも、女王陛下。ご期待に応えてみせましょう」
「ありがとうございます…………」
 パクリコンはランカシーレ女王に接吻した。ランカシーレ女王はパクリコンになかなか視線を合わせようとせず、次なる言葉を探しているようだった。パクリコンはランカシーレ女王に尋ねた。
「……それで、二つ目のお願いとは?」
「それは……あの……」
 ランカシーレ女王は俯き、耳たぶまで真っ赤に染めてこう言った。
「私のことを、名前でお呼びなさい。……ラン、と、愛称でお呼びなさい……」
 ランカシーレ女王は手で顔を覆った。パクリコンはランカシーレ女王の髪を撫ぜ、頬と額に接吻をし、ぎゅっと身体を抱きしめてからこう言った。
「かしこまりました、ラン」
 その言葉を契機に、ランカシーレ女王はパクリコンを抱きしめ返した。二人は熱くとろけるような接吻を何度も何度も繰り返し、次第に一つになっていった――。

 それから何週間か経った。
 ゴットアプフェルフルス国の王城内をランカシーレ女王は走っていた。ドレスとガウンをたくし上げ、周囲の目も気にせず走り抜けていた。その顔は笑顔に満ちており、幸せを噛みしめているものだった。
 ランカシーレ女王は廊下で一人の大臣とすれ違った。ランカシーレ女王は足をとめてドレスをただし、その大臣に問うた。
「ユーグ。私の主人を見かけませんでしたか!? 至急知らせねばならないことがございまして!」
「王配殿下でしたら、先ほど裏庭で見かけましたが」
「ありがとうございます!」
 ランカシーレ女王は一礼して、再びドレスをたくし上げて走り去っていった。残されたユーグは神妙な面持ちで立っていたが、やがて、
「……まあ、そうなるか」
とひとりごちて、口角をにやけさせながら歩き出した。
 ランカシーレ女王は裏庭に通じる扉を開き、裏庭へと駆け出た。そこには、ベンチに腰掛けて空を見上げているパクリコンの姿があった。ベンチには脱がれた鎧甲冑が置かれてある。
 ランカシーレ女王はパクリコンに駆け寄ろうとした。
「あなた! お知らせしたいことが……きゃああっ!」
 ランカシーレ女王のガウンが扉に挟まり、ランカシーレ女王は転んでしまった。パクリコンは立ち上がり、ランカシーレ女王を抱き起しながら言った。
「ラン。最近の女王陛下は妙に落ち着きが無い、と皆噂しているぞ。確かにこんな長い裾のガウンを着ていたら転びやすいのかもしれないが、万が一怪我でもしたらどうするんだ」
「それどころではございません、あなた!」
 ランカシーレ女王は荒い息の中で叫んだ。髪が乱れ、口元に絹糸のような髪がかかった。パクリコンがその髪の毛を外してやると、ランカシーレ女王はパクリコンに告げた。
「あなた! ついに私、赤ちゃんを身ごもりました!」
「本当か!?」
 パクリコンは表情を一変させ、ランカシーレ女王を抱きしめた。
「よくやった! さすがはランだ! 君ならできると信じていた! 君は最高の女王だ!」
「ありがとうございます、あなた!」
 ランカシーレ女王もパクリコンを抱きしめ返した。おなかの中に宿る小さな命の存在を噛みしめながら、二人は熱い抱擁に浸っていた。
 するとどこからともなく、女性の声が聞こえてきた。
「おめでとうございます、女王陛下!」
 パクリコンとランカシーレ女王は辺りを見渡した。扉は閉じられてある。裏庭に誰か潜んでいるのだろうか。得体のしれない不気味さが二人を襲った。
 しかしやがて、近くの草薮から黒装束の女性が顔を出した。
「レビア!?」
「驚かせてごめんなさい。護衛中は基本的に顔を出さないことにしていたのですが、今回ばかりはどうしてもということで」
 レビアは木の葉を叩き落としながらランカシーレ女王に近づき、跪いた。
「女王陛下。改めておめでとうございます。お世継ぎですね。お二人の愛の結晶だと思うと、あたしも喜びで胸がいっぱいです」
「はい……ありがとうございます、レビア」
 ランカシーレ女王は目を細めながらレビアに返した。
 パクリコンはそんな二人の光景を見ていたが、やがてふと疑問を口にした。
「レビア。護衛のためにここにいたんだよな?」
「はい。女王陛下が行くところに、必ずあたしはいますよ。それがあたしの仕事ですもの」
「いや、そうじゃなくて、その……」
 パクリコンは言い淀んだ。レビアは小首をかしげたが、やがてパクリコンは続けた。
「ここは俺がいるんだから、レビアがランを守るためにここにいなくてもよかったんじゃないか?」
「いえ、それでも万が一ということがあるので、あたしはいつでも女王陛下のお傍にいますよ」
「えーっと……ということは、だ」
 パクリコンは額に手を当てて思い返した。
「これまで俺がランと二人きりだと思っていた場所でも、ひょっとするとレビアは潜んでいたのか?」
「ありていに言うと、そのとおりですね」
 レビアは屈託のない声で言った。パクリコンは脂汗がにじむのを感じた。
「ま、待て、それってつまり、その、これまで……」
 しどろもどろになるパクリコンに、レビアはとどめを刺した。
「はい。女王陛下と密会していたり、女王陛下を抱きかかえていたり、女王陛下のスカートの中に隠れたり、女王陛下を押し倒したり、女王陛下の下着を外し取ったりしていた瞬間も、ばっちりこの目で見てしまいました。いやあ、実に積極的で清々しいものでしたよ。一国の女王たる女性にあそこまで迫れる男性なんて、そんじょそこらにはいませんって」
 パクリコンは開いた口がふさがらなかった。顔が真っ赤になり、言い訳の為の言葉に詰まり、脂汗が滴った。
 レビアは、口を押えているランカシーレ女王にも言った。
「あの頃から王配殿下は、やるときはやってくれると信じていました。あたしの知る限り、王配殿下は誰よりも男らしい方ですよ。これはお世継ぎが楽しみですね、女王陛下!」
「レ、レビア……? あの……その……」
 ランカシーレ女王はレビアの笑顔を直視できなかった。
 やがてレビアはパクリコンにがっしりと腕を掴まれた。
「何でしょう、王配殿下?」
「頼む、レビア! 君が見たことは誰にも言わないでくれ!」
「えっ」
 レビアはきょとんとなった。しかしすぐに偽悪的な表情を浮かべ、
「うーん。どうしましょうかねー。王配殿下のご命令とあらばしょうがないんですけれど、でも何の見返りも無く黙っていろって言われるのは割に合いませんよねー」
と聞こえよがしに呟いた。パクリコンはレビアの腕を掴んだまま、必死な声で続けた。
「頼む! 一緒に戦った仲だろ!? 分かってくれよ! 何か欲しいものはあるか!? な? 黙っていてくれ、頼む!」
「んー、そうですね」
 レビアは頬に手を当ててしばらく考えていたが、やがてパクリコンにこう言った。
「じゃあ、選ばせてあげます。次のうちどちらかを選んでください。これまで王配殿下が女王陛下にしてきた数々の破廉恥な奇行を黙っておくことにするか、もしくは……」
 パクリコンはレビアの言葉を待った。どんな選択肢が来ようとも、必ず前者を選んでやる。そう固く決意した。
 しかし現実は残酷だった。
「もしくは、王配殿下がこれまで誰と付き合ってきたかを黙っておくか。そのどちらかだけを実行してあげましょう」
「おい、やめろ!」
 パクリコンは悲痛な声でレビアに懇願した。レビアは素朴な表情で、
「どうしたんですか? だって王配殿下は、これまでの奇行を誰にも喋ってもらいたくないのでしょ? だったら悩むまでもなく、前者を選べばいいじゃないですか」
と尋ねた。パクリコンはレビアの腕にしがみつきながらなおも叫んだ。
「お願いだ! 頼む! それ以上俺を困らせないでくれ!」
「別に困らせたくて困らせてるわけじゃないんですけれどねえ」
 パクリコンとレビアのやり取りを、ランカシーレ女王はきょとんとした表情で見ていた。しかしパクリコンがあまりにも必死な声を出すので、ランカシーレ女王は恐る恐る声をかけた。
「あの、あなた? 何をお困りなのです? 別に私は、あなたがこれまでどなたとお付き合いなさったかなど、興味はございません。たとえその情報が耳に入ったとしても、何の支障にもなりますまいに」
「違うんだ、ラン! 君は現実の辛辣さを知らない!」
 パクリコンは今度はランカシーレ女王にも悲痛な声を上げた。ランカシーレ女王はレビアに向かって続けた。
「まあこの様子ですと、半永久的に答えなど出ないでしょう。ですので私が勝手に選びます。ゴットアプフェルフルス国の王配の名誉のため、どうか私の主人のこれまでの奇行を誰にもお話しにならないでくださいませ。その代わり、私に主人の元交際相手のことをお話しになっても構いません」
「はい、承知しました!」
 レビアの声にパクリコンは「やめてくれええええ」としゃがれ声を出し、裏庭の隅の方へと駆けて行き、しゃがみこんでしまった。
 その姿を見やったレビアは呆れたような表情でこう言った。
「ねえ、王配殿下。女王陛下は気にしないと言ってくれているんですよ? だったらいいじゃないですか。まあ言っちゃうんですけれどね」
 パクリコンは裏庭の隅でうずくまったまま何も言わなかった。ランカシーレ女王はレビアに尋ねた。
「……で、その元交際相手とはどういった方々なのです? あそこまで怯えるということは、やはり元交際相手の年齢や性別などに大きな問題でもあるのでしょうか?」
「いえ、まったく問題など無いですよ。いたって健全です。実のところ王配殿下の元交際相手なんて一人しかいませんし、それも同年代の女性ですし、同じ国の人ですし、同じくこの王城で働いている人なだけです。ね? 普通でしょう?」
「ええ、まあ……」
 ランカシーレ女王は怪訝な表情を浮かべた。
「で、その方というのは?」
 レビアは、待ってましたとばかりに満面の笑みを浮かべて、
「あたしです!」
と元気よく答えた。
 ランカシーレ女王はきょとんとなった。しかしすぐに不敵な笑みを浮かべ「なるほどなるほど」と言いながらパクリコンの傍へと歩み寄った。
「あなた。どうやらレビアはこれまでの何よりも有益な情報を運んでくださるようです。なので私は近いうちにレビアと腹を割って話し合い、あなたとの付き合い方を見つめ直そうと思います」
 パクリコンはしゃがみこんだまま、
「ラン……お願いだ……根掘り葉掘り聞かないでくれ……。俺は墓まで持っていくつもりだったんだ……」
と呟いた。
 ランカシーレ女王は大きな声で叫んだ。
「レビア。交際期間は?」
「二年と三か月です」
 レビアは大きな声で答えた。
「どちらから交際を申し込まれましたか?」
「王配殿下が私を押し倒して既成事実を作ったことがきっかけです」
「何が原因でお二人は交際をおやめになったのですか?」
「王配殿下が一日四回も身体を求めてくることにあたしが辟易したからです」
「主人が最も性的興奮を覚えるのはどのような場合ですか?」
「うつ伏せの王配殿下のお背中をピンヒールで踏んだ場合です」
 二人のやり取りはパクリコンの心を燃え尽きさせるのに十分だった。
 ランカシーレ女王はしゃがんでパクリコンの肩を抱き、慰めるように言った。
「私は一日四回相手をしてさしあげますから。背中をピンヒールで踏んでさしあげますから。ね?」
「俺は……一生尻に敷かれつづけるのか…………」
 パクリコンのその声を聞いて、レビアはけらけら笑った。
「あったりまえじゃないですか。そもそも腕力に歴然の差がある男女ですよ? こうして情報戦で優位に立てないと、女性が可哀想じゃないですか」
「そんなこと言ったってー……」
 パクリコンはなおしょげた。しかしランカシーレ女王はパクリコンの髪を撫ぜて言った。
「あなた。何も私はあなたの全てを掌握しようだなどとは考えておりません。ただ夫婦生活が円満になるためには、多少なりともあなたのことを知っておきたかったのです。もしあなたが踏まれることに多少なりとも性的興奮を覚えるのであれば、私は喜んでお手伝いいたしたいだけなのです。お分かりになって?」
「……ああ……」
 パクリコンは消え入るような声で答えた。
 ランカシーレ女王はおもむろに立ち上がって、レビアに目配せをした。レビアはランカシーレ女王の意図を汲み取ったのか、思いきりパクリコンの背中を突き飛ばした。
「いってえ!」
 パクリコンは前のめりになって地面に倒れた。そして起き上がろうとする前に、パクリコンは背中に鋭い痛みが走るのを感じた。
「あなた。踏んでさしあげますわ」
 ランカシーレ女王はそっとパクリコンの背中にピンヒールの踵を押し付けた。
「やめろ! 今しなくてもいいだろ!?」
「嫌です。お動きにならないで」
 ランカシーレ女王はドレスをたくし上げて、パクリコンの背中に乗った。ハイヒールの踵がパクリコンの身体に深く埋まる。
「ラン! やめてくれ! 君にそんなことをしてほしくない!」
「嘘仰い。こうすれば気持ちがよいのでしょう?」
 ランカシーレ女王はパクリコンの背中を踏み歩いた。ランカシーレ女王はなるべく踵に体重をかけないようにしつつ、刺激が万遍なく伝わるように踏み続けた。
「私は素直な人が好きです。あなたが私に嘘偽りなく接してくださるものと信じております。さてお聞きしますが、どのあたりを踏んでもらいたいですか?」
 パクリコンは勝ち目がないことを悟った。己の背中の上には豪奢なドレスを纏ったランカシーレ女王がピンヒールで乗っかっている。おまけにその傍にはレビアがついている。
 ここはもう素直になろう、とパクリコンは決意した。
「……臀部だ」
「えっ?」
 ランカシーレ女王は思わず聞き返した。パクリコンは続けた。
「臀部だ。尻にかけてちゃんと踏んでくれ。つま先と踵の両方で、バランスよく踏むんだぞ」
 パクリコンの言葉に、ランカシーレ女王は目を細めた。
「はい、お任せくださいませ。あなた」
 こうしてパクリコンとランカシーレの二人の時間は過ぎていった。レビアはその光景に安心したのか、また草薮の中に戻っていった。ランカシーレに踏まれるパクリコンも、パクリコンを踏むランカシーレも、とても幸せに満ち足りた表情をしていた。

 幸せは次の幸せを生むものだ。
 それから九か月ほど経ったある日のこと、ゴットアプフェルフルス国を継ぐ小さな命が誕生した。その赤ん坊は可愛い可愛い女の子だった。顔つきは母親によく似ていたが、目元は父親似だった。
 美しい子に育つのか、賢い子に育つのか、強い子に育つのか。皆の期待と国の将来を背負ったその赤ん坊は、元気に母親の乳を吸っていた。
 その光景を眺める父親も母親も、とても幸せに満ち足りた表情をしていた。

 ゴットアプフェルフルス国に、栄光あれ。


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