『灰かぶり』





 昔々あるところに、ゴットアプフェルフルスという小さな国がありました。ゴットアプフェルフルスは貧しい国でしたが、海からはたくさんの魚が取れ、畑で取れる小麦で作られたパンは人々にとても人気でした。
 ゴットアプフェルフルスのお城には、ランカシーレという名の王女が住んでいました。厳しくも優しい両親に育てられてきたランカシーレは、たいそうお淑やかで礼儀正しい娘へと成長しました。ランカシーレは将来立派な君主になるだろう、と臣下の誰もが認めていました。しかしランカシーレには困った点がひとつだけあったのです。

 ランカシーレは王城の長い廊下を歩いていました。絹のような金髪を棚引かせながら、水色のドレスと桃色のガウンをたくし上げつつ、ハイヒールを響かせながら歩を進めていました。すると廊下の曲がり角から、一人の大臣が現れました。
「ランカシーレ王女殿下、探しましたぞ。ささっ、乗馬のお稽古の時間でございます」
 ランカシーレはむっと顔をしかめ、大臣におもむろに近づきました。そして透き通るような指でドレスをたくし上げたかと思うと、真っ赤なハイヒールの踵で思いきり大臣の足を踏みました。大臣は叫び声をあげてうずくまりました。
「私は私のやりたいようにやります。この国の未来の君主が誰なのかを、お忘れにならないで」
 ランカシーレは冷ややかに言いました。
「し、しかし……乗馬のお稽古に向かわれませんと……国王陛下からおしかりを受けますぞ……!」
「分かっております」
 大臣の言葉にランカシーレは静かな声で答え、再び大臣の靴をハイヒールの踵で踏みました。
「いちいち私に指図などなさらないで。未来の君主に指図しようだなど、なんて烏滸がましい」
 ランカシーレは大臣を置いて乗馬場へと向かっていきました。とりのこされた大臣は足を押さえながら、
「王女殿下……どうしてああなってしまわれたのだろうか……」
と言いつつ、やがて這う這うの体で廊下から去ってきました。
 ランカシーレは乗馬のための厩まで行きました。厩では、ランカシーレに乗馬を教える騎士が待っていました。
「ランカシーレ王女殿下。ささっ、今日も乗馬のお稽古とまいりましょうか」
 ランカシーレはそんな言葉に耳も貸さず、ドレスをたくし上げて騎士の靴をハイヒールの踵で踏みました。さすがの騎士も思わず足を押さえて悶えうずくまります。
「私に指図などなさらないで。乗馬くらい独りでできます。くれぐれもついてこないよう」
 ランカシーレはお気に入りの白馬に近づき、ドレスをたくし上げて鞍にまたがりました。ドレスを大胆に整えると、手綱を引いて白馬の腹を蹴りました。ランカシーレを乗せた白馬が去っていった後に残されたのは、地にうずくまる騎士でした。
「ランカシーレ女王殿下……! 何故……!」
 それは絞り出すかのような声でしたが、それをランカシーレが聞くことはありませんでした。
 ランカシーレは白馬を駆けて城庭を一周し、あまり使われていない城門へと白馬を走らせました。城門には門番がおり、ランカシーレにこう言いました。
「ランカシーレ王女殿下。おひとりでお城の外へ出ることは禁じられております。どうかお引き取りを」
 ランカシーレは門番の額にハイヒールの踵を押し当てて言いました。
「誰に口を利いていらっしゃるとお思いなのです? 私は未来の君主です。指図などなさらないで」
 ランカシーレはさらに執拗に門番の額にハイヒールの踵を押し当てたかと思うと、そのまま白馬を駆けて城門から出て行ってしまいました。門番は、血の流れる額を手で覆いながら、
「ランカシーレ王女殿下……! いつか痛い目に遭いますぞ……!」
と呟きました。

 ランカシーレが白馬を走らせていくと、やがてランカシーレは街に出ました。レンガ造りの煤けた家々が立ち並ぶ、質素な街です。人々はその街をプローンネームと呼んでおり、貧しくも清らかな生活を営んでいました。
 ランカシーレは白馬をゆっくりと歩かせました。煌びやかな宝石ときめ細かなレースによって編まれたドレスとガウンは、プローンネームの街ではまるで場違いのようでした。しかしランカシーレはそれでも蹄の足音を響かせながら、プローンネームの街を進んでいきました。
 やがてランカシーレは、街の広間の噴水に腰掛けている一人の銀髪の青年がこちらを見ながら絵を描いていることに気が付きました。スケッチブックに向かって一心に鉛筆を走らせているその青年は、時折ランカシーレのほうを見やっていました。
 ランカシーレはいい気になって、白馬を歩かせてその青年のもとへと向かいました。
「これ。私の絵を描いていらっしゃるのですか?」
「いいえ」
 青年が端的に答えたことで、ランカシーレはむっとした表情を呈しました。そして青年がなおもランカシーレのほうをちらちら見やりながら絵を描いているので、ランカシーレはさらに気分を悪くしました。
「嘘を仰い。私の絵を描き、高値でお売りになるおつもりでしょうに」
「いいえ」
 青年は立ち上がり、ランカシーレにスケッチブックを見せました。そのスケッチブックには、白馬こそ丁寧にデッサンされていましたが、そこに騎乗する人物は単純な線でしか描かれていませんでした。
 ランカシーレは思わずかっとなり、叫びました。
「どういうおつもりなのです!? このような馬などより、私を描くべきでしょう!?」
「俺は描きたいものを描きます。俺が何を描くかなど、俺の自由ですから」
 ランカシーレは我慢できなくなり、ドレスをたくし上げて青年の額に向けて思いきりハイヒールの踵を押し当てようとしました。しかしすんでのところでランカシーレのハイヒールは青年の手によって阻まれてしまいました。そのためランカシーレは身動きが取れなくなってしまいました。
「これ、なにをする! 無礼者!」
「こんなはしたないことをする女性に、無礼も何もあったものではないと思いますが、いかがでしょう」
 青年は不意にランカシーレのハイヒールを離しました。ランカシーレは慌てて鐙にハイヒールを戻し、真っ赤な顔でドレスの裾を整えました。青年はスケッチブックを閉じて言いました。
「興が醒めました。またの機会にでもお話ししましょう」
 青年は踵を返し、ランカシーレのもとから去っていきました。ランカシーレはそんな青年の背中に向けて、声を投げつけました。
「この無礼者! せめてお名前だけでもお教えなさい!」
「……パクリコンです」
 ランカシーレは、パクリコン、という音を何度も反芻しながら、パクリコンが去っていくのを見ていました。
 やがて噴水近くにいた人たちが「あんなにドレスをたくし上げていたら、そりゃあ見えるってものだろう」と話し始めたのをきっかけに、ランカシーレはさらに顔を真っ赤にさせながら白馬を駆けてお城へと戻ることにしました。

 お城に戻っても、ランカシーレの気は晴れませんでした。パクリコンという青年に足を掴まれた感覚が、今でもなお生々しく蘇ってくるからです。
「このようなときは、お母様にお話しするより他ございません」
 ランカシーレはそう呟いて、王妃の間へと足を運びました。
 王妃の間では、ランカシーレの母親がクッションに腰掛けて執務を行っていました。質素な水色のドレスに身を包んだ王妃は、ランカシーレと同じく流れるようなクリーム色の髪をしておりました。
 ランカシーレが王妃の間に入ると、王妃は微笑んでランカシーレを呼びました。
「ラン、どうしたの? 何か気分のすぐれない事でもあったの?」
「はい、お母様。実は今日、街でこのようなことがございまして……」
 ランカシーレは、パクリコンと名乗る青年が自分に不遜な態度を取ったこと、また絵の題材に自分ではなく馬を用いたことを話して聞かせました。王妃は静かに頷きながらそれを聞いていましたが、やがて王妃はランカシーレにこう言いました。
「ラン。どうしてそのパクリコンさんは、ランを題材に選んでくれなかったのかしら」
「分かりません。ですがどうせ、あのパクリコンという男に美の感性が無いからなのでしょう」
「ラン」
 王妃はランカシーレの髪を撫ぜた。ランカシーレは思わず目を細めた。
「ならどうすれば、パクリコンさんはランを絵の題材に選んでくれるのかしら?」
「それはきっと、もっと綺麗なドレスを私が纏えば良いだけの話でございます」
 ランカシーレは答えた。
「もっと派手で、もっと豪奢で、もっと煌びやかなドレスやガウンを纏えば、あのパクリコンも私を絵の題材にするでしょう。そうなれば、彼は二度と私に不遜な態度を取れないはずです」
「……そう」
 王妃は再びランカシーレの髪を撫ぜた。
「ならそうやってみなさい。あなたにとっておきのドレスとガウンをプレゼントしてあげるわ」
「本当!? ありがとうございます、お母様!」
 ランカシーレは王妃に抱き着きました。しかしそんなランカシーレを、王妃は困ったような顔でずっと見ていました。

 翌日のこと、ランカシーレは王妃からもらったドレスとガウンを纏いました。何重にも布地が重なったドレス、目のくらむような宝石、雪のようなフリル、そして重厚な紅色のロングトレーンのガウンをまとったランカシーレは、確かにこの国で最も美しい娘だと言われても過言ではなかったでしょう。そのドレスはふんだんにフリルが使われていたため、少し裾が長いものでした。しかしランカシーレはそのようなことを気にもかけず、王妃に礼を言って厩へと向かいました。
 厩でお気に入りの白馬にまたがり、ランカシーレは駆けて行きました。護衛の者を付けず、ただただプローンネームのあの青年に会うために、必死に白馬の腹を蹴りつづけました。
 やがてランカシーレはプローンネームの噴水にたどり着きました。そして間もなく、広間の隅の木陰でパクリコンが熱心にスケッチブックに鉛筆を走らせているのを、ランカシーレは見つけました。ランカシーレが到着してからというもの、パクリコンはときおりランカシーレのほうを見やっては、丁寧なデッサンを続けていました。
 ランカシーレはパクリコンに近づき、馬の上からこう言いました。
「今日こそは私の絵をお描きになっていらっしゃるのでしょう、パクリコン?」
 しかしパクリコンはデッサンを続けたまま、黙って首を振るだけでした。ランカシーレは期待していた答えを得られず、むっとした顔で白馬の手綱をぴしゃりと鳴らしました。
「何故私をお描きにならないのです!? 私があなたの題材として相応しくないだなど、どれほど思いあがっていらっしゃるのです!?」
「誰が思いあがっているんですって?」
 パクリコンはスケッチブックから目も話さずに言った。ランカシーレは反駁した。
「あなたのことを申し上げておるのです! この国で一番のドレスを纏った私が、どうして題材として相応しくないことがありましょうか! それなのにあなたはなおも私を描こうとなさらないだなんて!」
「先日言ったはずです。俺は、俺の描きたいものだけを描く、と」
 パクリコンの言葉は冷ややかでした。ランカシーレはなおも熱く反駁しました。
「何故私を描こうとなさらないのです!? 私のどこが不満だと仰るのです!? この国で私より優れた題材など、いるはずがありません! それなのに何故!?」
「聞きたいですか?」
 パクリコンは立ち上がり、膝に付いていた消しくずを払いのけながら言いました。
「もし聞いたら、あなたなら怒って俺の所に二度と来なくなるでしょうけれど、それでも聞きたいですか?」
「……この……っ!」
 ランカシーレは怒りに任せてドレスをたくし上げ、パクリコンの額にハイヒールを踏み当てようとしました。しかしあまりに怒りに我を忘れていたランカシーレは、ドレスの裾がいつもより長いことに気が付いていませんでした。
 ドレスの裾のフリルにハイヒールの踵が絡まってしまいました。そのためランカシーレはバランスを崩してしまいました。
「きゃあっ!」
 ランカシーレは鞍の上でぐらぐら揺れたかと思うと、パクリコンの方へと白馬から落ちてしまいました。
「危ないっ!」
 パクリコンはランカシーレの胴体を身体で受け止めました。幸いランカシーレはドレスに身を包まれていたので怪我をしませんでしたが、驚いた白馬はいななきを上げて走り去っていってしまいました。
「こ、これ! 戻っておいで! お前がいないと私は帰れないというのに!」
 ランカシーレはドレスに足を取られたまま、もがきながら言いました。パクリコンは、そんなランカシーレのハイヒールに絡まったフリルを丁寧に外して、ランカシーレにこう言いました。
「これでもう立てますよ。あとは向こうの駐在所まで行って、馬でも借りたらいかがです?」
 パクリコンは立ち上がりランカシーレを見やりました。ランカシーレはそれでもなお立てずにいました。
「……どうしたんですか?」
「ドレスが重いのです」
 ランカシーレは小声で言いました。
「それに、ハイヒールで立ちあがるのはなかなか難しいものなのです。少々お待ちなさい」
 ランカシーレはドレスの裾を整えながら、ハイヒールで立ち上がろうとしました。しかしランカシーレはそれでもなお立ち上がることができませんでした。やがてパクリコンはそんなランカシーレに手を差し伸べ、ランカシーレを立ち起こさせました。
 パクリコンは言いました。
「こんな折に、あなたがどこぞの不埒な輩に襲われでもしたら後味が悪いです。駐在所まで送ってさしあげましょう」
「あ……ありがとうございます」
 ランカシーレはドレスをつまんでお辞儀をしました。そしてパクリコンが差し出した右腕に、ランカシーレは己の左腕を絡めました。
「ではまいりましょうか」
 パクリコンはゆっくりと歩きだし始めました。ランカシーレはそれに合わせてハイヒールを一歩一歩踏み出し始めました。
 ランカシーレはパクリコンのその手慣れた振る舞いを訝しみつつ、尋ねました。
「助けていただいてありがとうございます。一度きちんとした形でお礼をせねばなりません」
「お礼ですか……。そのようなものは要りません」
 パクリコンは端的に答えました。しかしランカシーレはなおも続けました。
「そのようなことを仰らないで。女性を助けた方が、お礼も受け取らないだなど許されないことでございます」
 その言葉を聞いて、パクリコンはランカシーレのほうをつまらなさそうな目で見ました。
「あなたの落馬の際に怪我をさせなかったことが、そんなに特別なことなのですか?」
「当たり前でございます! 女性にとって肌は命よりも大事なものです! そんな肌に、落馬の際に傷を付けずに済んだのはほかならぬパクリコンのおかげでございましょうに!」
「……そうですか」
 パクリコンはさらにつまらなさそうな声で返しました。
 パクリコンはしばらくの間口を開かずに歩き続けていました。ランカシーレは不思議に思いましたが、それでもパクリコンが口を開くのを待ちました。
 やがて人通りの少ない路地の前に差し掛かった時に、パクリコンは言いました。
「俺には俺の家族がいます。病気で寝たきりの母親だけですが、俺の唯一の家族です。俺は毎日、母親の薬代を稼ぐために絵を描いています。母親は女手一つで俺を育ててくれました。母親の手なんて、もはやぼろぼろです。傷だらけで、あざだらけで、あなたにとっては見るに堪えない物でしょう。……ですが俺にとって、俺の母親は世界で一番誇れる女性なんです。そして俺は母親の手が大好きです」
 パクリコンはランカシーレのほうに向きなおって言いました。
「きっとあなたには、そんなことなんて分からないままでいいのだと思います。……ほら、あそこが駐在所です。迷わず駆けていけば、誰にも邪魔されずにあそこへたどり着けるでしょう」
「パクリコン……?」
 ランカシーレは、パクリコンの右腕がふと遠ざかってゆくことに不安を抱きながら言いました。
「お待ちなさい! せめてあと少しだけ、最後まで私とともにおいでなさい!」
「ごめんなさい。俺はあなたと会うのは、これっきりにしたいんです。では」
 パクリコンはそう言って一礼し、ランカシーレに背を向けて走り去っていってしまいました。ランカシーレは叫びました。
「これ! お待ちなさい!」
 ランカシーレはドレスの裾をつまんで走りだそうとしました。しかしドレスの裾が長くてうまく走れません。
 やがてランカシーレは諦めて、駐在所へと向かうことにしました。

 駐在所で馬を借りることのできたランカシーレは、まっすぐに王城に帰りました。そして一目散に王妃の間へと向かい、大好きな母親の胸へと飛び込みました。
「お母様!」
「まあ、ラン。どの様子じゃ、うまくはいかなかったみたいね」
「はい……」
 ランカシーレは王妃に、パクリコンが落馬から助けてくれたこと、パクリコンが駐在所まで送ってくれたこと、そしてパクリコンが二度と会いたくないと言ったことを話しました。
「どうしてパクリコンは私とお会いになりたくないのでしょう。私はただ、身分の違いに関係無くパクリコンに接してあげていただけなのに」
「そうね、ラン」
 王妃はランカシーレの頭を撫ぜました。
「身分の違いを乗り越えるということと、侵してはならない人の心に入ってゆくいうものは、別物よ」
「侵されてはならない人の心……」
 ランカシーレはその言葉にしばらく呆然となっていました。ランカシーレは何度もその言葉を反芻していましたが、やがてランカシーレは口を開きました。
「……そのようなことを、考えてもみませんでした」
「でしょうね」
 再び王妃はランカシーレの頭を撫ぜました。
「ラン。どうすればパクリコンさんがランとお話をして下さるのか、もう一度よくお考えなさい。これは将来君主となるランにとって、必要不可欠な課題です」
「はい……」
 ランカシーレは消え入るような声で言いました。王妃はそんなランカシーレの頭を撫ぜながら、唐突にこう提案しました。
「ラン。そろそろあなたも婿を取らねばならない年頃です。婿を選ぶためのパーティを開きなさい」
「ええっ!?」
 あっけにとられつつも、ランカシーレは反駁しました。
「い……嫌でございます! 何故好き好んで、たかが一人の男に縛られねばならないのです!? 私は当分、一人で過ごしたくございます! 君主となる私に婿など必要ございません! 婿だなど、本当の本当に必要に迫られた時に求めればよいだけの話でございます!」
「……そう?」
 王妃は微笑みながら続けた。
「でも、そうね。婿を国民から選ぶというのはどうかしら? あてずっぽうに国民に手紙を送って、パーティに招待するのです。その中に選ばれた人たちとよくお話をして、婿にするかどうかを決めればいいと思うわ」
「あてずっぽう……!? お母様は私の結婚を何だとお思いなのです!? あてずっぽうに相手を選ぶだなど、失礼極まりありません!」
「……ラン。人には『あてずっぽうだ』と言うのよ。本当のところは、あなた次第なのだから」
 ランカシーレははっとなり、王妃の言葉を咀嚼し終えた後に、王妃に再び抱き着きました。

 数日後、『あてずっぽうに』選ばれた国民のもとへパーティの招待状が届きました。選ばれた国民は「主催の王妃様はさぞかし気前の良いお方でいらっしゃるんだなあ」「王城へ招待だなんて、じつに名誉なことだ」と張り切り、礼服を新調してパーティへと臨むことにしました。
 選ばれた国民のうちの一人であるパクリコンも、困ったように溜息をつきながら招待状を眺めていました。すると同室のベッドに横たわっていた母親から、声をかけられました。母親は橙色の長い髪の毛を後ろに束ねてあり、皮膚は長きに渡る労働により荒れていました。
「パクリコン。行ってらっしゃいなさい」
「できないよ、母さん。俺だけこんな贅沢するわけにはいかないよ。こんな暇があったら、一枚でも多くの絵を描いて売りに出たいんだ」
「そうは言うけれどね、パクリコン」
 母親は窘めるような声で言いました。
「お前はいつも絵を描いては売ってばかりでしょう? たまには息抜きも必要よ。ましてや王妃様がお呼びになったとあれば、これは神様がお前に息抜きをしろと仰っているようなものだわ」
「だけど、母さん……」
 パクリコンは反駁しようと思い、母親のいるベッドへと振り向きました。すると真剣な目をした母親がじっとこちらを見ていることに、パクリコンは気付きました。
「……分かった。行ってくるよ」
 パクリコンは意を汲み取って、パーティへの出席を決意しました。

 それから一週間が経ち、王城でパーティが開かれました。パーティに呼ばれた国民の皆々は礼服に身を包み、王城の大広間にて「なぜ我々がこのパーティに呼ばれたのか」という話に花を咲かせていました。
 パクリコンもまたその中にいました。しかし誰とも話すわけでもなく、ただテラスに立っては消えゆく夕陽を眺めていました。
 やがてファンファーレが鳴り響き、パーティの開始が宣言されました。パクリコンが広間の中央を見やると、そこにはゴットアプフェルフルス国の王妃が水色のドレスと紺色のガウンに身を包んで立っていました。王妃は広間の近くにいた人たちに挨拶をしていました。パクリコンは、今は出るべき時ではない、と判断したのか、再び夕陽の方を見ることにしました。
 しばらくすると、パクリコンはハイヒールの鳴り響く音が近づいてくるのに気づきました。ふと広間の方を振り返ると、そこには流れるような金髪に白磁のような肌、空色のドレスに紅色のガウンを纏い、黄金のティアラを頭に乗せたランカシーレが立っていました。
「ごきげんよう」
 ランカシーレはドレスをつまみ、お辞儀をしました。パクリコンもまた右手を下ろしてお辞儀をしました。
 ランカシーレは言いました。
「パクリコン。このような場所でお会いできたことを光栄に思います。どうぞ私とお話をなさっていただけませんか?」
「……もちろんですとも」
 パクリコンはランカシーレに右腕を差し出しました。ランカシーレがその右腕に己の左腕を絡めると、パクリコンはそっと広間から離れていきました。その様子を壇上の王妃は視界の隅に捉えていました。
 パクリコンはランカシーレを連れて、城庭のベンチへと向かいました。ランカシーレをベンチに腰掛けると、パクリコンもまた一礼してそのベンチの隣に腰掛けました。
「……やはりこの国の王女殿下でいらっしゃったのですね」
「はい。隠していてまことに申し訳ないと思っております」
「……。もういいですよ」
 パクリコンは醒めた声で言いました。
「王女殿下が俺に何の用だというんですか? 今更話すことなんて何もありません」
「いえ、私にはございます、パクリコン」
 パクリコンはランカシーレのほうを見やりました。ランカシーレの纏う空色のドレスにはふんだんにフリルが用いられてありました。胸元は大きく開いてあり、そこにはランカシーレの柔らかそうな乳房が立派に実っていました。
 ランカシーレは言いました。
「私に絵を教えていただけませんか?」
「えっ!?」
 パクリコンは思わず声を失いました。ランカシーレは続けました。
「私はあなたの絵をどうしても拝見したいと思っております。しかしあなたはそうたやすく私に絵をお見せになってはくれないでしょう。それもそのはずです、どこぞの見知らぬ女に絵を見せたところで、その価値など分かるはずがないからです。加えて私はあなたにあのような無礼なことをいたしてしまいました。となると私があなたの絵を見るためにすべきことは、ひとつだけです」
 ランカシーレはパクリコンを見つめながら言いました。パクリコンは何も言えないままでしたが、ランカシーレは最後に言いました。
「お願いです。私に絵を教えていただけませんか?」
 パクリコンはランカシーレの言葉を反芻していました。パクリコンはランカシーレの意図が汲めずにいましたが、やがてなんとか声を絞り出しました。
「王女殿下、それは命令でしょうか?」
「いいえ、懇願です」
 パクリコンは再び言葉を失いました。馬の上から傲慢にもハイヒールで踏みつけようとした王女が、今や懇願しているのです。パクリコンは何と言っていいやらしばらく迷いましたが、やがて生唾を飲み込んだ後にこう言いました。
「王女殿下。俺はまだ人に絵を教えられるような立場ではありません。お諦め下さい」
「嫌です」
 パクリコンは目を丸くしました。ランカシーレは続けました。
「嫌だと申し上げているのです。私は、他の誰でもなく、あなたに絵を教わりたいと思っているからです。あなたの言葉で絵を理解したい、あなたの感性で絵を表現したい、と強く思っているのです。あなた以外に適任などいらっしゃいません。お願いです、私からの願いをお聞き入れください」
 ランカシーレはパクリコンの両手を握りしめながら言いました。パクリコンはさらに言葉を探しているようでしたが、やがてランカシーレの手を振り切って立ち上がりました。
「王女殿下、ごめんなさい。やはり俺には無理です」
「何故です!?」
「どうしてもです!」
 パクリコンはそう言って、ランカシーレの傍から離れ、庭の柵を乗り越えて走り出していきました。
「これ、お待ちなさい!」
 ランカシーレはドレスをたくし上げて、庭の出口から出てパクリコンを追いました。軽やかに駆けるパクリコンと違い、豪奢なドレスとガウンを纏うランカシーレは、ぐんぐんと引き離されていきます。
「ええい、こんなドレスなど!」
 ランカシーレは乱雑にドレスをたくし上げて、パクリコンを追いました。パクリコンは城門の一つに向かって駆けていましたので、ランカシーレは叫びました。
「門兵! その男を捕まえなさい!」
 パクリコンが門へと姿を消す瞬間、ランカシーレは「遅かったか」と感じました。しかしそれでもランカシーレは諦めずに、門へと駆けて行きました。
 ランカシーレが城門へとたどり着いたとき、くたびれたような姿の門兵が一人姿を現しました。ランカシーレは尋ねました。
「門兵、ここに男が来ませんでしたか!? 銀髪の男なのですが、捕えることはできましたか!?」
 しかし門兵はその問いに答えず、ランカシーレに言いました。
「ドレスをたくし上げてお走りになるとは、なんとはしたないことか」
「門兵……?」
 ランカシーレは怪訝な顔で門兵を見やりました。門兵は続けました。
「いつもは馬の上から我々を足蹴にし、今はドレスをたくし上げてお走りになる。王女殿下はさぞかし、我々に下着をお見せつけになるのがお好きらしい」
「あの……一体……?」
 ランカシーレは、さきほどまでドレスをたくし上げすぎていたがために、下着が丸見えだったことに気づきました。
 門兵はランカシーレに一歩近づきました。
「そんなにお好きなら、もっとお見せくだされ!」
 門兵はランカシーレのドレスの裾をわしづかみにし、思いきりドレスをずり上げました。
「いやああああっ!」
「いつもいつも我々を足蹴にする悪い王女殿下など、こうしてくれる!」
 門兵はランカシーレの下腹部をまさぐり、下着の中に手を入れました。ランカシーレは必死にドレスを押さえようとしましたが、門兵の力にはかないませんでした。
「いやああっ、いやああああっ、おやめになってぇっ!」
「こうしてくれる! こうしてくれる!」
 門兵はランカシーレのドレスを思いきり引っ張りました。ランカシーレはバランスを崩してよろめき、転んでしましました。
「さてさて……お仕置きの時間ですぞ、王女殿下」
 門兵が手もみをしながらランカシーレに覆いかぶさりました。ランカシーレは叫びました。
「いやあああああっ」
 そのときです。門兵は急に「うぐぅっ」と呻いて、動きを止めました。ランカシーレが驚いていると、門兵の背後から一人の銀髪の男が姿を現しました。
「王女殿下に不埒な真似は許さん!」
 パクリコンは手にしていた筆の柄で門兵の背中を一突きし、門兵をむんずと掴んで放り投げました。門兵は地に伏して「ぐふっ」と呻きました。
 ランカシーレはパクリコンに言いました。
「パクリコン! 来てくださっただなんて!」
「来ましたよ、王女殿下。まったく!」
 パクリコンは門兵を見やりました。門兵はまだ気を失っておらず、剣を引き抜いて立ち上がり、パクリコンと相対峙しようとしていました。門兵は呻くように言いました。
「王女殿下は我々を足蹴になさるのだ……! 我々には王女殿下を蹂躙する権利がある……!」
「それはかつての王女殿下だ。だがもう王女殿下はそんなことしないと思うぜ」
 門兵はパクリコンに剣を振り下ろしました。パクリコンは筆の柄でそれを捉えたかと思うと、左手に持っていた刷毛で門兵の腹を突きました。
「お前に何が分かる……! 我が儘で傲慢な王女殿下は、一度犯されねばならない……!」
「犯されなくても分かるのが、王女殿下のいい所なんだがな」
 門兵の剣の突きをパクリコンは確実によけながら、門兵の身体に筆で打突を施していきました。
「王女殿下……! 犯してくれよう……!」
 門兵は思いきり剣を振り上げたかと思うと、ランカシーレに向けて剣を投げつけました。
「いやああああっ!」
「させるか!」
 パクリコンは筆を思いきり振り、空中の剣を筆で叩き落としました。剣はあらぬ方向へと飛んで行ってしまいましたが、かわりに筆も使い物にならなくなってしまいました。
「これで……王女殿下を守るものは……何もない……!」
「ある!」
 パクリコンは再び門兵と相対峙しました。
「俺が筆で鍛え抜いた、この右腕があるッ!」
 パクリコンは一歩踏み込み、門兵の腹に強烈な殴打を食らわせました。門兵は呻き、倒れて動かなくなってしまいました。
 パクリコンはランカシーレのほうを振り返りました。腰が抜けて動けなくなっているランカシーレは、とても小さいものに見えました。
「大丈夫、門兵は気を失っているだけです。王女殿下、今のうちに広間に戻りましょう」
「は……はい!」
 パクリコンは右手を差し出し、ランカシーレを立たせました。そして門兵が気絶しているうちに、元来た道を駆けて行きました。

 パクリコンがランカシーレを連れて広間へと戻ると、そこには水色のドレスを纏った王妃が待っていました。
「お母様!?」
「ラン。それと……パクリコンさん」
 王妃は静かに言いました。
「どうやらまたランを助けてくださったようですね、パクリコンさん」
「さようでございます、王妃陛下」
 いつの間にか跪いていたパクリコンは、頭を垂れたままそう言いました。
 ランカシーレはその光景を見て、不思議な感覚を抱きました。パクリコンがすんなりと王妃を前にして跪いたことから察するに、なおパクリコンにはランカシーレの知らない秘密があるように思えました。
 王妃はふっと微笑んで、パクリコンに言いました。
「ここには私たちの他に誰もいません。いつもどおりで構いませんよ、パクリコンさん」
「……」
 ランカシーレは何事かと思い、パクリコンを見やりました。パクリコンはしばらくの間跪いたままでしたが、やがておもむろに立ち上がったかと思うと、にこやかに微笑んで王妃に言いました。
「ありがとうございます。先ほど王女殿下が門兵に襲われていらっしゃいましたので、助けたまでです。とはいえ門兵のほうにも何らかの事情があったようですので、無碍に門兵に罰を下さないほうがよいかと思います。ああいうのは、どちらもどちら、といった具合でしょうか」
 そう言うパクリコンに対し、王妃は「まあ」と笑いながら相槌を打ちながら話していました。驚いたのはランカシーレです。王妃の前でパクリコンがここまで素直に明るく喋るだなんて、想像だにしていなかったからです。
 ぽかんとしているランカシーレを見やった王妃は、ランカシーレに言いました。
「ラン。黙っていてごめんなさい。パクリコンさんとは顔なじみで、よく王城にいらっしゃるときにお話をする間柄なのです」
「そう……でしたか……」
 ランカシーレはいまだに信じられないといった表情を呈していました。王妃は続けました。
「ラン。パクリコンさんはね、いつも素敵な絵を描いてくださるのよ。どんな宮廷画家にも負けないような、力強くて生き生きとした絵をね。そして私は貴族に斡旋して、パクリコンさんの絵を買い取るようにしてさしあげていたのです」
「斡旋……?」
 ランカシーレはふと王妃に問いました。
「何故お母様がパクリコンの絵をお買いにならないのです? そこまで気に入っていらっしゃるのであれば、お母様がパクリコンの絵をお買いになればよろしいのに」
「ラン。そうは簡単にいかないのよ。王城の宮廷画家の間にもさまざまな派閥争いがあるし、パクリコンさんをそれに巻き込ませるわけにはいかないわ」
 王妃の言葉は静かで、それでいてとても真摯なものでした。
 王妃はパクリコンのほうを向いて言いました。
「パクリコンさん。先ほどランとお話しになったときに、ランから無理を言われたのではないのかしら?」
「無理、ではないですが、難しい話でした。王女殿下に絵を教えるよう言われたものですから」
 パクリコンは微笑みながらそう言いましたが、王妃は目を丸くしました。
「まあ、ラン。あまり難しいことを言ってパクリコンさんを困らせるものではありませんよ。先ほど言った通り、私はパクリコンさんに王城の宮廷画家内の派閥争いには巻き込まれてもらいたくないのですから」
「お母様……しかし……」
 ランカシーレは言葉を失いました。パクリコンはそんなランカシーレの傍に歩み寄り、王妃に言いました。
「王妃陛下。俺は王女殿下に絵をお教えしたいと思います。是非ともその御依頼を受けさせてください」
「えっ!?」
 王妃の声とランカシーレの声が重なりました。王妃とランカシーレは顔を見合わせていましたが、やがて王妃はパクリコンに尋ねました。
「どういうこと、パクリコンさん? あなたには、宮廷画家のつまらない争いごとに巻き込まれてほしくないわ。それに……ランの言うことだからってそんなに引き受けなくてもいいのよ?」
「いいえ、王妃陛下。俺は進んでお引き受けしたいのです。たとえその結果、宮廷画家の争いに巻き込まれようとも、俺はこの王城で絵を突き詰めていきたいのですから」
「でも……パクリコンさん……」
 しかしパクリコンは王妃に、毅然とした声で言いました。
「王妃陛下。ランカシーレ王女殿下は俺の絵を見たいと仰って下さりました。その言葉は、初めて王妃陛下が俺に仰って下さった言葉とまさに同じでした。そんなランカシーレ王女殿下を俺は信じてみたいんです。ランカシーレ王女殿下とともに、俺はこの王城において絵で勝負してみたいんです。……これまでのように王妃陛下に守られるだけでなく、俺の力だけで絵を売っていきたいんです」
「パクリコンさん……」
 すると今度は、ランカシーレが一歩パクリコンに近づき、パクリコンの両手を取りました。
「パクリコン。私に絵を教えてくださるのですか?」
「はい、もちろんですとも。王女殿下」
 パクリコンは困ったように微笑みながら言った。
「王女殿下には、きっと絵の素質がある。俺にはそう思えただけですよ」
「そう……ですか」
 ランカシーレはそれ以上何も言えませんでした。しかしややあって、ランカシーレはパクリコンに微笑みながら言いました。
「そういうことにしておきます、パクリコン。これからもよろしくお願いいたしますわ」
 そう言ってランカシーレはドレスの裾をつまみ、深く礼をしました。
「こちらこそ」
 パクリコンも同様に頭を垂れました。
 そんな様子を王妃はただにこやかに眺めるのみでした。

 やがて年月はながれ、ゴットアプフェルフルス国の王位が継承され、ランカシーレ女王が即位する日がやってきました。ランカシーレ女王の戴冠式は国で一番大きな聖堂で行われ、国中のありとあらゆる要人が呼ばれました。ランカシーレ女王の纏うドレスに散りばめられた目のくらむような宝石や、きめ細かなフリル、重厚なガウンは人をして「その瞬間で最も美しい女性」と言わしめるほどでした。
 ランカシーレ女王のその姿は、世界でただ一人の画家の絵によって残されることになりました。その画家こそ、ランカシーレ女王が唯一心を許し、絵について師事したと言われている伝説的な平民出身の画家でした。
 その後ゴットアプフェルフルス国は芸術の盛んな国として広く知られるようになりました。そんなゴットアプフェルフルス国の女王が、唯一心を許した画家とどんな炎よりも熱い愛を育み結ばれるのも、さほど遠くない未来のことでしょう。

 ゴットアプフェルフルス国よ、永遠なれ。

(おしまい)


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