『ドキッ!? 湯煙に舞う白下着! 〜見ちゃダメなんですぅ☆〜』


 今日は九月一日、新学期の始まりの日だ。海老名高校に通う俺ことパクリコンは、元気よく家を飛び出した。
「いってきまーっす!」
 俺は食パンを一斤加えたまま海老名の路地を走り抜けた。近所の人たちの噂する「学力ならぬ顎力だけは一人前なんだから」という声がかすかに聞こえた。
 新学期早々遅刻は許されない。そんな焦りを抱えながら腕時計の表示とにらめっこすることもほどほどに、俺は角を曲がろうとした。
 その瞬間である。

 でちーん!

 目の間に火花が飛び、俺は爆発に巻き込まれたウッディのように前のめりに倒れこんだ。
「いってててて……何なんだよ一体!」
 ふと見ると、俺は俺と同じ高校の制服を着た女子高生の身体に跨っていることに気付いた。その女子高生は目を伏せて痛みに悶えている。彼女は長い金髪と可愛らしい癖毛が特徴的で、上背のあるグラマラスな子だった。俺は己の股間が彼女の下腹部に押し当てられていることも忘れて、彼女の顔に見とれていた。
 やがて目を開けたその女子高生はマウントしている俺を認識したようだ。
「きゃあっ! えっち! 何をなさっているの!?」
「うわあああっ、誤解だあああっ!」
 俺は現実に引き戻され、慌ててその女子高生のまさしく女体と呼べるべきボディから身を遠ざけた。いかん、近所の人たちが「すわ痴漢か!?」「オヤジ狩りか!?」と路地に顔を覗かせ始めた。俺は挨拶もそこそこに、逃げるように高校のほうへと走っていくことにした。

 朝礼が始まったのは、俺が教室に飛び込んでから0.5マイクロ秒後だった。
「えー、今日は転校生を紹介しますねー」
 おっとりしたピンク髪の担任はおっぱいを揺らしながら扉を開けた。すると金髪で癖毛の女子高生が入ってきた。まさに俺が今朝ぶつかった女子高生である。
「今日からこちらでお世話になります、ランカシーレ・アッペンツェラーと申します。よろしくお願いいたします」
 その女子高生は、まるで「えっち!」と叫んだことすら無いかのように真面目ぶった顔でそう挨拶した。彼女の律儀な挨拶を受けて、クラス中から拍手が巻き起こった。なんだか悔しい。
 担任がランカシーレさんに席の案内をし始めた。
「それじゃあねー、こんなこともあろうかと空けておいたあの席に座ってくださいねー」
「はい。ん……あの席のとなりにいるのは……」
「ああ、飯骨稼くんですよー」
 げげっ、どうして俺の隣の席にあの女子高生が座らなきゃならないんだ! 頼む、思いとどまってくれ! 今朝の俺との出来事だけは絶対に口にしないでくれ! 金ならやるから!
「……よろしくお願いいたします、飯骨稼さん」
 あれ? 他人行儀に挨拶されたぞ?
「よ、よろしくおねがいいたします……」
 ぎこちなくおうむ返しに答えた俺に一瞥もくれず、そのランカシーレと名乗った女子高生は着席した。

 一限の授業は英語だった。「教科書を持っておりません」と言うランカシーレのために、俺は机をくっつけて彼女に教科書を見せることにした。
 「My pen is big.」という文章の真ん中の二単語が丸で束ねられてあるような俺の教科書をランカシーレは立てた。そして英語教師から見えない位置にノートを置き、ランカシーレは俺との筆談を開始した。
――この高校に温泉はございますか?
―生徒会しか入れない温泉ならある……がそれがどうした?
――そこに案内してください
―無理だ。生徒会員ではない俺にはそこに入る資格がない。
――無ければ強引にでも入るまでです。案内なさい。
―ど、どうして俺がそんなことをしなきゃならないんだ。
――今朝の事をバラしましょうか?
―ヒエー!
 ランカシーレは手を挙げて「気分が悪いので保健室に行ってまいります。付添は飯骨稼さんにお願いします」と言った。教師から許可を貰ったランカシーレは、俺の手を引いて教室の後ろの扉に向かった。俺は為されるがままに扉から出ていくよりほかなかった。ああ、教室には俺の『My pen is big.』だけが残されてしまった。
 廊下を歩きながら、俺はディズニー映画『ダンボ』に出てくるティモシーのようにランカシーレに告げた。
「生徒会しか入れない温泉なんだぞ!? 俺が入ったら、たたたた、退学にされちまう!」
「そうでなくても、私が今朝の出来事を誰かに話しただけであなたは退学になりましょうに」
 そう言うランカシーレの表情は、まるで『名探偵コナン』にてキャンピングカーが故障するも自分だけ宿を確保してある灰原のそれのように涼しいものだった。
「だからってなあ……!」
「あなたの都合など関係ありません。私は、この高校にあるという温泉に隠された未知なる財宝に興味があるだけです。しかもここの温泉は生徒会しか入れないと来たものです……なおさら怪しいでしょうに。これは財宝のありかを突き止めねばなりません」
「それでどうして俺が巻き込まれなきゃならないんだ……」
 俺が次なる反駁を考えようとしていると、物陰から一人の男子生徒が現れた。彼は鋭い眼鏡をかけ、おかっぱ状の髪型をし、学ランは真っ白でヨゴレ一つ付いていなかった。
「おやおや、サボリかな、飯骨稼パクリコンくん?」
「なっ……! 貴様は生徒会の書記、邑具架平(ゆうぐ かぺい)!」
 邑具は眼鏡を一秒間に七回ほどクイッとさせながら、こちらに近づいてきた。
「サボリは校則で禁じられているはずだ。すぐさま教室に戻るように」
「フン。残念だが、俺は今この子を保健室に連れて行くところなんだ。だからサボリじゃないぜ」
「ほう……この子をねえ」
 邑具はねっとりした声を出しながらランカシーレに顔を近づいた。
「初めまして、マドモアゼル。残念なことに、飯骨稼パクリコンは誰かを保健室に連れて行く権利など無いのです。代わりに第573代生徒会執行部書記のこのボク、邑具がエスコートしましょう」
 そう言って邑具はランカシーレに右手を差し出した。
 くそっ、正直ランカシーレを温泉に案内するなんて非常に面倒くさいと思っていたが、こいつにだけはランカシーレを預けるわけにはいかねえ。俺はそう決意し、一秒間に眼鏡を十四回ほどクイッとさせている邑具の足元にそっとパンの耳をばらまいた。そう、今朝食べていたパンの耳だ。しかも適度に丸めて円筒状にしてある。
「邑具! いつの間にか足許にユムシがいるぞ!」
「ふんげええええっ!?」
 邑具は思わず眼鏡を取り落した。奴がユムシ嫌いであるということはこの学校中の常識であったのだ。
「ランカシーレ、行こう!」
「はい!」
 俺はどさくさに紛れてランカシーレの手を引いてその場を離れた。先ほどの場所では目を「3」にした邑具が「ユムシ……チンチン……ユムシ……チンチン……!」とおびえながら眼鏡を探していた。
 俺はランカシーレを連れて三階の階段の踊り場までやってきた。
「変な奴に見つかりそうになったが、もう大丈夫だ」
「はい……」
 ランカシーレは頬を紅潮させて肩で息をしていた。
「温泉に行きたいのなら、まあ教えてやらないこともない。まず温泉に行くためには、この踊り場にある隠し通路を通らないといけないんだ」
「ここに隠し通路が!?」
 ランカシーレは、『リトル・マーメイド』にてアリエルの訪問を目の当たりにした海の魔女アースラのごとく目の色を変えた。
「それは本当ですか!?」
「本当だ。だが……ちょっとやそっとじゃ隠し通路の扉は開かれないんだ。言い伝えによれば、この踊り場で女子校生が男子高校生に馬乗りになり、罵倒しなければその扉は開かれないらしい。そしてそれをクリアした一般生徒はこれまで誰一人としていないんだ。この学校に組み込まれた人体認識システムと音声認識システムに関する巧妙なバグらしいのだが……な? 無理な話だろう?」
「それのどこが無理なのです?」
「えっ」
 俺は『美女と野獣』の時計執事コグスワースばりに汗を垂らした。
「いやいやそんな無理って! 俺達で馬乗りだとか罵るだとかしただけで、そうやすやすと隠し通路への扉が開くわけないだろう!?」
「これまで誰も成し遂げたことが無いからといって、私たちにできないことであると勝手にお決めつけにならないで。覚悟くらいお決めなさい。とおおおうっ!」
 ランカシーレは勢いよく俺を突き飛ばした。俺は踊り場に仰向けになって倒れた。打ち所が悪かったためか、なかなか起き上がることができない。
「馬乗りになればよろしいのですね?」
「いやまあそうなんだけれど……ぐああっ」
 ランカシーレは俺に馬乗りになった。しかも乗った位置が微妙に俺の下腹部にオーバーラップしているため、俺の男性の象徴が彼女の体重によって押しつぶされて悲しいことになっている。過度な刺激による非勃起射精は勃起不能を引き起こすんだぞ。俺の人生を一体何だと思ってやがる。
 ……と思いはしたものの「まさに俺の股間を押しつぶしているのは女子高生の股間である」という事実の認識には勝てなかった。ああもう、勃起不全にでも何にでもなれ! 俺はまさにこの瞬間を脳髄に焼き付けつつ生きていくぞ!
 そんな俺に対し、ランカシーレはこう続けた。
「あとは罵ればよいのですね。さて……この童貞!」
 えっ。
「童貞! 童貞! 童貞!」
 やめて、ほんと、それだけはやめて。
「童貞! どうてーい!」
 うわあああっ! 「クラスでまだやったことないのってパクリコンとシンタローだけだよね」という噂が流れたときには「言いたい奴には言わせておけ。まだ俺の他にシンタローも童貞なら、俺は一向に構わない」と思ったものだったが、その一週間後に「脱童貞しました!」と叫ぶシンタローの姿を見たときには俺はもうほんとうにダメになるかと思ったんだぞ! 俺の傷を抉るなぁぁあっ!
「童貞! 童貞! 童貞!」
 やめてくれ、頼む、金ならやる! ああ、俺は声を出すことすらままになっていないのか。もうだめだ、俺はだめなんだ、このまま童貞として死ぬしかないんだ。「きっと将来誰かと子供を作るために使うだろう」と漠然と思っていた俺の男性の象徴だけれど、きっと何者にも使われぬまましなびてしまうのだろう。それも運命ならしかたあるまい。これが童貞の宿命さ。サダメってやつなのさ。
 そう覚悟を決めようとした瞬間だった。

 ガコン!

と音がして、踊り場の床パネルが外れて俺とランカシーレはその下に通じる穴へと滑り落ちていった。
「な、なあっ!?」
「いやあああっ!」
 これまでは手加減して俺にまたがってくれていたランカシーレも、この思いがけない落下劇に際しては本気で俺にまたがるようになった。ああ、空中とはいえ、彼女のしがみつきによって俺の陰の茎がぷちゅりと音を立ててはじけてしまいそうだ。
 そのようなことを思っていると、俺とランカシーレはまとめてどさりと墜落した。どうやら俺達は高校の地下温泉室に投げ込まれたらしい。あたりからは硫黄化合物の匂いがしており、湯煙はもくもく漂っている。湯煙の向こうには温泉のための薄緑色のタイルで作られた湯船のようなものまでが見えた。
 湯船のようなもの……それは湯船ではなかった。なぜならその湯船のようなものには、多くのジュラルミンケースが詰められてあったからだ。まるでジュラルミンケースが仕舞われることを予期されていたかのように、そこにはジュラルミンケースがきっちりと敷き詰められている。
「ランカシーレ、大丈夫?」
 俺はランカシーレを気遣って声をかけた。しかしランカシーレは俺の腹の上で小さくうずくまっていた。ああ、怖かったのだろう。まさかこんなことになろうとはお釈迦様でも気付くまいに。先ほどまで俺を心地好く罵っていたランカシーレとは打って変わって、まるで小動物のように震えるランカシーレがそこにいた。ついでにはだけたスカートの間からピンクの下着も見えていた。心なしか、うっすらと濡れたストライプまでが見えた気がした。
「ランカシーレ、ほら、立てるか?」
 俺はランカシーレに優しく告げた。ああ、自分で言っておきながら「立てるか?」が「勃てるか?」に思えてしまった。童の貞なる性質たるやこのようなところにまではびこっているとは。
 そのときだった。ぱしゅんぱしゅんと銃声が聞こえた。俺はとっさにランカシーレをかばい、襲ってくるであろう銃弾から彼女を守った。
「だ、誰だ!? 何をする!?」
 俺は振るえるランカシーレの肩に手をやりながら叫んだ。すると意外な声がやってきた。
「ボクだよ、ボク。ボクさ」
「その声は……邑具!」
 湯煙の向こうから現れたのは邑具だった。白い学ランに銀縁の眼鏡が嫌に似合っている。そして奴の右手には鼠色に光る拳銃が握られてあった。
「ボクさ、飯骨稼パクリコン。この生徒会が占有する地下温泉に侵入者が入ってきたのでやってきたところ、まさかのまさか、お前がいたんだ。生徒会以外は入ることの許されないというこの温泉にね」
「生徒会以外が入れないようにしているのは、まさかあのジュラルミンケースを仕舞っておくためだったのか!? あれはもしや……この高校に眠る財宝の正体なのか!?」
「そうだ。我が校の生徒会には、代々引き継がれている金があるのだ。一代につき1億円ほどの積み立てによって蓄えられた金だ」
「一代につき1億円……!?」
 ざっと勘定するに、573代目のこの生徒会は573億円を所有していることになる。
「それを何に使うつもりだ!?」
「生徒会長を神にするためさ。代々生徒会長はこの積立金の利子を利用することで力を得て、神となってきた。現に今も生徒会長は着々と神になるための力を得ている」
「神……だと……!?」
「ああ。……そしてお前はそれを知ってしまった」
 邑具はカチャッと引き金に指をやった。その銃身は間違いなく俺を狙い澄ましていた。
「死人に口無し。……あばよ、パクリコン」
 パシュン、と乾いた音がした。その瞬間、俺はランカシーレを抱いて横転した。どうやら俺の腕を銃弾がかすめたようだ。肉を抉る鋭い痛みとともに血が流れ落ちてくる。
「パクリコンさん……!」
「心配ない、ランカシーレ。ここは俺に任せろ」
 俺はランカシーレをその場に上体を起こさせて座らせた。ぺたんと座ったランカシーレはとてもか弱い存在に思えた。
「邑具、お前にやられるほどの俺じゃない。それを証明してやる」
「ふっははははは、丸腰のお前に何ができる。こっちには拳銃があるんだ。それにもうお前にはボクの目をごまかせるほどのパンくずなんて残されちゃいない」
 そう言って邑具は俺に向けて再び銃弾を撃ち込んできた。俺は左右にステップを踏みながら銃弾をかわし、邑具の持つ拳銃に向けてオーバーヘッドキックを食らわせた。邑具は「うっ」とうめき、拳銃を取り落した。乾いた金属音が温泉の湯船にこだました。
「拳銃が無ければお前はもはや戦えまい!」
「ぐうっ……! こしゃくな!」
 俺は邑具に向けて拳を繰り出した。邑具は俺の拳に対し、自らの拳で応じてきた。しかし拳銃という圧倒的暴力を排除された邑具の拳は恐れるに足らないものだった。
「これで……とどめだ!」
 俺は邑具に音速を超える拳を叩きこんだ。邑具は三メートルほど吹き飛ばされて、地下温泉室のタイルに叩きつけられた。俺は倒れて動けないでいる邑具に近付き、告げた。
「もう立てまい。ジュラルミンケース内の積立金のことは警察に連絡する。お前はそこでおとなしく観念しておくんだな」
「くそっ……ちくしょう……! ……ぐっ……身体が……動かない……」
 邑具は弱弱しく吐いて、どさっと体をタイルに横たわらせた。
 そのときだった。ガラリと温泉室の扉が開き、ある男子生徒が入ってきた。しかしその男子生徒は鬼の形相のような顔が三つあり、八本の腕を持ち、筋肉は樽のように隆々としており、その丸太のような脚が一歩踏み出すごとに地響きが鳴った。
「情けないぞ、邑具」
「せ、生徒会長……!」
 まさかの生徒会長だった。
 俺は生徒会長の持つ覇人のオーラに中てられ、全く動けすらしなかった。そのような中で、生徒会長は邑具に告げた。
「死ぬまで戦え。これは命令だ」
「で、ですが生徒会長、もはやボクは……動くだけの力が残されていません……」
「ええい、言い訳など聞きたくない!」
 生徒会長は八本あるうちの腕の一本で邑具を掴み、投げ飛ばした。ビターン、と邑具は壁に叩きつけられ、そのまま落下してバシャーンと温泉の中に沈んだ。それを見て俺は思わず叫んだ。
「なんてことをするんだ! もう邑具に戦う意志なんて無かったはずだ! それに……お前たちの悪事を隠すために戦った邑具に対して、お前はどうしてそんなことをできるんだ!」
「部下は上に従うものだ。所詮は戦う駒にすぎない。そしてオレがオレの部下をどう扱おうとオレの勝手だ。お前の関与すべき話ではない」
「だからって……!」
 反駁を試みる俺に向かって、生徒会長は八本ある腕の一本から魔弾を打ち出した。それは俺の腹部に直撃し、
「がはあっ!」
と俺は吹き飛ばされた。
「お前……魔弾を使いこなせるのか……!?」
「当然だ、生徒会長なのだから。そして……神になるべき男なのだからな」
 生徒会長は俺に一歩一歩近づきながら言った。心なしか地響きまでもが大きく聞こえる。
「終わりだ」
 生徒会長は再び魔弾を打ち出した。俺は脚のバネに力を入れ、大きく跳躍して回避した。
「当たるかぁーっ!」
 俺はそのまま生徒会長に拳のラッシュを食らわせた。しかし生徒会長は微動だにせず、ただ腕の一本だけで俺の拳を防いでいた。
「甘い」
 生徒会長は八本ある腕の一つから再び魔弾を打ち出した。俺は生徒会長の腕に蹴りを入れることで魔弾を回避し、安全に着地する。
「お前の魔弾なんかにはもう当たらないぜ!」
「しかし飛び道具の無きお前に勝ち目は無い。いずれ力尽きて倒れるのがオチだ」
 生徒会長は再び魔弾を打ち出してきた。俺は一発一発の精度を見極めて確実に回避を重ねていった。
 やがて生徒会長は焦りを感じ始めてきたようだ。恐らく生徒会長は俺くらいに魔弾を回避する敵と戦ったことが無いのだろう。やがて生徒会長は魔弾を打ち出す腕の数を二本に増やしてきた。しかし打ち出す腕の数が二本に増えたからと言って、単純に回避に費やされるエネルギーが二倍になるわけではない。二本の腕を使うということは、それだけ精度が落ちるからだ。
 やがて生徒会長は三本、四本と使用する腕の数を増やしていった。それだけに弾幕は激しいものになったが、見切ってしまえばあとはこちらのペースだった。一見俺は弾幕に翻弄されているように見えるが、実情は逆である。俺が弾幕を翻弄しているのだ。そしてその弾幕の持つエネルギーに相当する疲労は確実に生徒会長を蝕んでいた。
「おのれ……! 一思いに終わらせてくれるわ! 覚悟しろ!」
 生徒会長は八本の腕で陣を組んだ。古来よりスロバキアに伝わる伝説の武道「マグマラ拳」の陣だった。その陣の中央には、魔弾のエネルギーが蓄積されていった。
「死ねぇーっ!」
 生徒会長は大きな魔弾を打ち出した。それは強力で、速くて、想像を絶するほどのエネルギーを帯びた魔弾だった。しかしそれゆえに生徒会長の心には隙があった。そしてその隙は俺の勝機につながった。
「おらああああっ!」
 俺はその魔弾に向けて拳を放った。魔弾とは、己の持つ精神エネルギーを具現化させたものである。したがって一見一様に見える魔弾にも、偏りが存在する。そしてその偏りを貫けば、その魔弾をコントロールできる。
 俺の拳は魔弾の芯を捉えた。そして俺が拳を殴りぬけるとともに、魔弾は大きく跳ね返された。
「何ッ!?」
 魔弾は弾道を変えて生徒会長へと向かっていった。生徒会長は魔弾を撃った経験こそあるが、受けたことはこれまで一度もない。
「ぐああああっ!」
 直撃を受けて生徒会長はもんどりうって倒れた。生徒会長のマグマラ拳の陣が崩れ、エネルギーが脱励起された。
「か……勝ったのか……!?」
 俺は茫然と生徒会長を見やっていた。ピクリとも動かず倒れ伏した生徒会長からは、一切のエネルギーを感じられなかった。
「よし……ランカシーレ! 急いでここを出よう! 他の奴等に見つかる前に、俺達だけで脱出しよう!」
「は……はい!」
 俺はランカシーレのもとに駆け寄ろうとした。そのときだった。
「ぐおらああああっ!」
 生徒会長が覚醒した。そのあまりにも強大な精神エネルギーは、生徒会長をして浮遊せしめていた。
「オレをここまで追い詰めるとはな……パクリコンよ……! 貴様には死すら生ぬるい……! この俺が……死よりも残酷な苦痛を与えてやる……!」
「何ッ!?」
「覇ァァァァァッ!」
 生徒会長の精神エネルギーが一点に集中された。そのまばゆい生命のエネルギーは生徒会長の身体を包み込むと、やがてそれは大きな黒い竜へと姿を変えた。その竜は漆黒の翼をもち、何物をも切り裂く爪を有し、決して砕かれえない鱗を携えていた。
「オレが……オマエを……ぶっ殺ス……!」
 今や黒天竜(シュヴァルツ・ヒンメル・ドラッヒェ)と姿を変えた生徒会長は、俺に対する殺意を燃やしていた。
「そこまで身を落とすか、生徒会長よ! だが俺は戦うぜ! お前なんかに殺されはしない!」
「ぶっ殺ス……!」
 生徒会長は牙の生えている口から黒い炎の弾を撃ちだした。その弾は俺達を確実に狙っていた。
「危ないッ!」
 俺はランカシーレを抱えて横転し回避した。炎の弾は温泉室の壁を大きく削り、タイルを真っ黒に焼き焦がしていた。
「ランカシーレ、ここでじっとしているんだ。俺は奴を……屠る!」
「パクリコンさん……!」
 俺はランカシーレを物陰に置き、生徒会長と相対峙した。奴は体格も腕力も俺の数倍上回っている。だが……俺はあくまで戦う!
「おらぁぁぁっ!」
 俺は拳を繰り出した。今や俺の拳は音速を超えていたため、空気の真空弾を作り出していたのだ。その真空の刃は確実に黒天竜と化した生徒会長の鱗に直撃していた。
「効かヌ……! 効かヌ……!」
 生徒会長はその鋭利な爪で俺を薙ごうとした。俺は爪に蹴りを入れて回避し、生徒会長の電柱ほどあろうかという手首に拳を叩きこむ。しかし生徒会長は悠然と俺の拳を受けつつ、俺に第二の炎の弾を撃ちだしてきた。迫りくる熱気に、俺は回避行動を取れなかった。
「ならば……!」
 俺は温泉の蛇口に拳を打ち込み破壊した。吹き溢れるお湯は炎よりも温度が低い。俺は温泉水によって熱をやわらげ、その炎の弾を防ぐことに成功した。
 生徒会長は大きくのけぞり、口から真っ黒な瘴茎を何本も撃ちだした。瘴茎とは、悪に身を落とした者だけが自在に操ることのできる黒い触手だ。確かに生徒会長ほどの実力者なら瘴茎を操ることもできるだろう。しかしそれだけに「ここまで生徒会長は悪に身を落としてしまったのか……!」という思いも否めなかった。
 俺は大きく跳躍し、瘴茎に蹴りを入れた。ぷるん、という感触が俺の脚に伝わってきた。瘴茎は俺からその身を遠ざけて、あらぬ方向へと散っていった。
 そのときだった。
「いやああっ!」
 ランカシーレの声だ。声のするほうを見ると、ランカシーレの右足首に瘴茎が絡まっていた。
「離してえええっ!」
「ランカシーレ!」
 俺はランカシーレの傍に駆け寄ろうとした。しかし生徒会長の吐く炎が邪魔で身動きが取れない。
「きゃあああっ!」
 さらに三本の瘴茎がそれぞれランカシーレの両手首と左足首に絡まってしまった。ランカシーレは為されるがままにその白磁のような肢体を瘴茎の前に晒すことしかできないでいた。
 やがて右足首に絡まっていた瘴茎は黒い液体を分泌した。その分泌液はランカシーレの下着に飛び散った。するとどうだろう、ランカシーレの下着の布地が溶けてしまったではないか。
「いやああああっ!」
 布地が溶けたその下着ははらりとタイルの上に舞い落ちた。それは下着としての性質をもはや果たしておらず、一枚の布となっていた。
 やがてその布は温泉の熱気に煽られて宙を舞った。そしてその布はそのまま生徒会長の股間にピタリとあてがわれた。

 俺の中で何かがぷつりと切れた。

「許さねえ!」
 俺は生徒会長に向けて次々と拳を繰り出した。俺の拳は音速を遥かに超えており、ソニックブームがバシンバシンと生じていた。生徒会長の鱗は、そのソニックブームに呼応するかのようにピシピシと砕かれ始めていった。
「俺の……ランカシーレの……パンツを!」
 俺は全力を振り絞った拳を生徒会長に打ち付けた。その勢いを受けて生徒会長はもんどりうったが、やがて生徒会長は闘志をあらわにした目で俺をギロリと睨んできた。
「殺ス……!」
 生徒会長は牙をたくさん蓄えた大きな口を開き、魔弾エネルギーを集中させた。黒天竜の状態で魔弾を撃ちだせば体が持たないはずだ。それでもなお生徒会長は撃とうというのだ。
「そこまでやるかよ生徒会長……! だが、俺は受けてやるぜ!」
 俺は俺の拳のバネにエネルギーを溜めつつ、生徒会長との間合いをはかった。
 次の瞬間、生徒会長は強烈な魔弾を俺に撃ちだしてきた。その魔弾は黒い光を迸らせながら、真っ直ぐに俺を狙っていた。
「うおおおおおっ!」
 俺は生徒会長に拳を撃ちだした。俺の渾身の拳の一打だ。
 ガキイイイイン、と音がして、俺の拳と生徒会長の魔弾はそのエネルギーを拮抗させた。
「ぐぐぐぐっ……! これは……押し切った方が勝つ……!」
「グググ……! 殺ス……!」
 エネルギーはバチバチと音を立てながら俺と生徒会長の間を漂っていた。しかし相手は黒天竜と化した生徒会長である。やがてじわじわとその拮抗しているエネルギーは俺の方へとにじり寄ってきた。
「ぐっ……! ここまでか……!」
 俺が死を覚悟した瞬間のことだった。ぱしゅん、と音がして生徒会長の鱗の一枚が破壊された。
「今のは……!?」
 見ると、温泉から這い出てきた邑具が鼠色の拳銃で生徒会長を射撃していた。
「お前に殴られて目が覚めたぜ、パクリコン! 生徒会員の命を軽んじる生徒会長なんて、俺の知っている生徒会長じゃねえ!」
「邑具……! よし、力を合わせるぞ!」
 俺と邑具は呼吸を合わせた。そして俺は拮抗しているエネルギーを生徒会長の方へと押しやった。
「これが俺の……俺達の力だァーッ!」
 やがてエネルギーは生徒会長に直撃した。たんぱく質の砕ける音が鈍く響き、生徒会長は黒く濁った赤い血液を吐いた。生徒会長はのけぞって倒れ、バキバキ、とタイルが破壊された。湯船も砂糖細工のように砕け散っていった。
 その衝撃の後に、温泉室全体に重低音が鳴り響きはじめた。それを聞いて邑具が叫んだ。
「まずいぞ、これは温泉室が崩壊する音だ! かつて初代温泉室も同様にここで崩壊したと聞く! 一刻も早く脱出だ!」
「おう!」
 邑具は温泉室の扉まで駆け、大きく扉を開いて手招いた。俺はランカシーレに問うた。
「ランカシーレ、立てるか!?」
「はい、でも……下着が……」
「そんなもん無くったっていいだろ!? 見られても別に減るもんじゃないし!」
「んもう! バカ!」
 そう言ってランカシーレは俺に手を引かれて立ち上がった。
 邑具に手招かれるがままに俺達は温泉室を出て、階段を駆け上っていった。やがて温泉室が崩壊を迎えた大轟音が響き渡り、高校の地下温泉室は終わりを迎えた。
 校庭に出た俺達は、温泉室があったとおぼしき地下出口を見やった。ときおり灰色の煙がボフッ、ボフッと音を立てながら噴出されていた。
「終わったんだな……」
 俺は何ともなしに呟いた。
「生徒会長……あれだけの力を持っておきながら、悪に身を落としていただなんてな……。もったいないにもほどがあるぜ……」
 俺は生徒会長の技のひとつひとつを思い出していた。邑具も口を開いた。
「生徒会長は規律を重んじ、生徒を誰よりも大切にする人だった。だけれど黒天竜の力を得はじめた日からおかしくなってしまったんだ。少しずつ、傍若無人な暴力に溺れるようになっていったんだ。生徒会の皆はそれでも生徒会長の心を信じた。俺も生徒会長のことを立派な人だと思っていた。なのに……最後にあんなことになるだなんて……」
「ああ……もったいない、ってレベルじゃないぜ……」
 俺はランカシーレに歩み寄った。秋の風が吹き抜く中で、ランカシーレは俺に抱き着いた。
「パクリコンさん……!」
「ランカシーレ、もう大丈夫だ」
「ですが……私が興味本位で温泉などに行こうと言いださなければ……こんなことにはならなかったのに……!」
「いいんだ。もう過ぎたことさ。生徒会長は……惜しかったけれどな……」
 俺はそう言って、ただランカシーレの肩を抱くことしかできなかった。

 次の日の事、俺は廊下で一人の男子生徒と出会った。その男子生徒は顔が三つあり腕が八本あるまぎれもない、
「生徒会長!?」
だった。
「はっはっは、パクリコンよ。何を驚いている。あの程度でくたばるオレではないのだ」
「だ、だが……しかし……」
「はっはっは、そう案ずるな。俺はどうやら長く黒天竜に心を支配されていたようだ。黒天竜の強さを求めるあまり、オレはオレの心を売ってしまっていたようだ。しかしお前に倒されたおかげで、黒天竜の瘴気も抜けていったみたいだ。今では以前にも増してじつに清々しい心地がする」
「生徒会長……! それでこそ生徒会長だぜ!」
「はっはっは、心配をかけてすまなかったな。詫びついでに、今日の生徒総会でちょっとした発表がある。心して待っておれ」
 そう言って生徒会長ははっはっはと笑いながら去っていった。
「何だったんだ……」
「何だったのでしょうね」
 そばでランカシーレも訝しみながらつぶやいた。
 その日は四限に生徒総会が行われた。生徒指導などの毎度おなじみの話に始まり、テストの出来についての御小言なども聞かされた。
「次に、生徒会からの予算の報告を行う。これまで生徒会は極秘裏に予算を積み立ててきた。その積立をいま、生徒に還元しようと思う。積立額は、573億8000万円だ」
 生徒会長の報告に生徒たちはざわついた。しかしパクリコンは分かっていた。その積立金が地下温泉室に隠されていたあのジュラルミンケースに眠っていたものであることを。積立金は授業料免除に始まり、各生徒へのニンテンドー3DSの配布などに用いられるということが話された。
「そして最後に、生徒会長の座の委任を発表する」
 生徒会長の言葉に再び生徒たちはどよめいた。
「オレは今日をもって生徒会長の座を辞め、この座をオレの認めた男子生徒に譲ろうと思う。その男子生徒とは……飯骨稼パクリコンだ」
「俺ッ!?」
 パクリコンは立ち上がり、目を白黒させながら叫んだ。
「いや、でも、俺なんかが生徒会長をやったってダメじゃないですか! 俺には無理ですよ!」
「はっはっは、パクリコンにならできるよ。なにしろ、オレが認めた男なんだからな」
「ひえ〜〜〜!」
 生徒たちはドッと笑った。すると俺の隣でランカシーレが立ち上がった。
「パクリコンさんならできますよ。ほら、自信をもって!」
「そんなこと言われてもなぁ〜」
 すると突如体育館の中に突風が巻き起こった。不用意に開け放されていた窓から秋の風が入り込んできたのだ。
「きゃあっ!」
「うひょっ……!」
 ランカシーレのスカートがその風の中で舞う。スカートの裾を押さえながら、紅潮した顔のランカシーレはパクリコンに問うた。
「み……見ました!?」
「見てない見てない! ピンクの水玉模様なんてちっとも見ていない!」
「んもう!」
 ランカシーレは手を振り上げた。
「見ちゃダメなんですぅ☆」
 ばちこーん、と音が響き、俺は生徒会長就任の餞別をめでたくいただいたのであった。
 そしてそんな俺を撫ぜる秋の風もまた、俺を祝福してくれているかのようだった。

(おしまい)


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